偉人や偉人のうつ病

一般
鴎外への鎮魂歌3 サフランの暗示

 鴎外の随筆の中でも秀逸とされる「サフラン」の中には、秘密が隠されているとみる。それは自分の失敗した理由の探索。 「名を聞いて人を知らぬということが随分ある。人ばかりではない。すべての物にある。私は子供の時から本が好きだ […]

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一般
鴎外への鎮魂歌4 軍服の鴎外

 下の写真は、明治17年(1884年)10月8日にフランス マルセイユの写真館で撮影されたものである。留学のため欧州に向かう船の中で1か月半の長旅のあとである。鴎外は後列左から2人目。軍服姿は2人のみ。これが鴎外の最も古 […]

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鴎外への鎮魂歌7 結婚

 長井長義(1845~1929)は、徳島県の藩医の家庭に生まれた。鴎外の17歳年上だが、父親がともに藩医ということでは一致している。頭脳明晰だった長義は、22歳の時、長崎の医学校に国内留学。オランダ人の医師ボードウィンに […]

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鴎外への鎮魂歌6 北里柴三郎との確執

 森鴎外と北里柴三郎。一人は文学者として、一人は医学者として異なる分野で超一流の業績を挙げた。その二人が同じ写真に写っており、さまざまな交流があったことは、驚くべきことである。そして、石黒を含めた下の3人はもめにもめてい […]

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鴎外への鎮魂歌0 その概略 

はじめに  凡人は毎日失敗する。今日も失敗した。しかし、人間のスケールが小さいから失敗にしてもスケールが小さい。偉人も失敗するが、今日紹介するのは、とてつもなく大きなスケールの失敗だ。  森鴎外は、明治期に活躍した日本を […]

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鴎外への鎮魂歌2 生まれ

 鴎外は、島根県の南西部で海に接していない内陸の盆地津和野で生まれた。山にかこまれた川沿いの小京都とも言われる美しい街並みである。当時津和野は、亀井氏の城下町、石見の国津和野である。今こそ人口は6700人くらいだが、当時 […]

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鴎外への鎮魂歌1 死の直前 

 森鴎外(1862年文久2年~1922年大正11年)は、夏目漱石と並ぶこの時代の日本を代表する作家である。そして、鴎外は作家以外にもう一つの顔を持っていた。陸軍軍医森林太郎としての顔である。  東大医学部を出た鴎外は、や […]

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道元の言葉 正法眼蔵随聞記 その6

2巻17章である。「人は善いことをすると、人に知られようと思い、悪いことをすると人に知られまいと思う。そのために心の内と外とが一致しなくなる」。  人が他人に知ってもらいたいのは、自分が優れていることとか、立派なことをや […]

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内村鑑三の教え 成功の秘訣

 内村鑑三が、ある旅館の主人に、成功の秘訣と題した教えを書き贈っています。写真を撮っていい展示スペースでしたので、撮影させていただきました。 大正十五年七月二十八日 星野温泉若主人のために草す 成功の秘訣  六十六翁 内 […]

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道元の言葉 正法眼蔵随聞記 その5

第13章です。ある人が道元に言いました。「名誉、利益の2つは仏道の妨げになるから捨てましょう。しかし、衣服が糞掃衣(ふんぞうえ)*1、食べる物が常乞食(じょうこつじき)という生活はできるでしょうか」。「摩訶迦葉尊者(まか […]

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