鷹山、金次郎、方谷 3人の偉人

3人の概略

 江戸時代に活躍した3人の偉人について、精神医学的検討をすすめていきます。 

 3人のうち上杉鷹山(ようざん)と二宮金次郎の2人は内村鑑三の「代表的日本人」に取り挙げられています。

 上杉鷹山の生没年は、1751ー1822、日向高鍋藩主の次男で江戸の麻布で生まれ、米沢藩主となりました。当時の米沢藩は、貧窮しており、多額の借金を重ねていました。鷹山は、さまざまな改革を行い、復興させ、米沢の産業を生み出すなどしました。J.F.ケネディが尊敬する日本人はと日本人の記者に問われて「youzan Uesugi」と言ったらしいですが、記者は上杉鷹山のことを知らなかったようです。儒教は高名な師について学びました。

 二宮金次郎の生没年は、1787ー1856、小田原藩の中流の農民の子として生まれ、早く両親をなくし、まずは自分の二宮家を復興させ、藩にとりたてられて、小田原藩の飛び地である栃木県の桜町の復興で活躍しました。 そのうつ病の可能性について論じさせていただきました。儒学はおそらく独学が多かったと思われます。朱子学の貝原益軒を信奉していました。

 山田方谷(ほうこく)の生没年は、1805ー1877、備中松山藩(岡山県)で生まれ育ちました。儒学を学んだのですが、朱子学ではなくて陽明学です。金次郎が歩きながら読んでいた「大学」は朱子が編纂したものと思われますが、方谷は王陽明がいうように古本にもどるべきだと考えていたようです。優れた才能を示し、やはり、復興に尽力し成功させました。 学ぶことが多くもっと知られていい方だと思います。儒教は佐藤一斎などから学びました。

 この3人には、不思議なことに多くの共通点があります。3人の仕事は、財政再建であり、それを成功させたということ、儒教を主な学問としたこと、その人格の高潔さ、敵対者の存在、困難の克服、家庭の問題などです。

 この3人を同時に考察するのは、法然、親鸞、一遍をまとめて考えるのに匹敵する大仕事。まともには無理なので断片的に語っていきます。

3人の生没年

 3人が同時に生きていた時代は、1805年から1822年です。鷹山は山形米沢に、金次郎は小田原から栃木に、方谷は岡山にいました。彼らが出会うことはありませんでした。外国の偉人を入れたらもっと面白いとおもいますが、無理はいたしません。さて、3人の偉人にはどのようなつながりがあるのでしょうか。あります。あります。下記の法則の通りに。