鴎外への鎮魂歌3 サフランの暗示

 鴎外の随筆の中でも秀逸とされる「サフラン」の中には、秘密が隠されているとみる。それは自分の失敗した理由の探索。

名を聞いて人を知らぬということが随分ある。人ばかりではない。すべての物にある。私は子供の時から本が好きだといわれた。・・・。凧というものを揚げない、独楽というものを回さない、隣家の子供との間に何らかの心的接触も成り立たない」。

このような子供時代を送った理由は、本人の性質もあるが、母峰子の教育方針でもあったのかもしれない。

 「そこでいよいよ本に読み耽って、器に塵の付くように、いろいろの物の名が記憶に残る。そんな風で名を知って物を知らぬ片羽になった。大抵の物の名がそうである。植物の名もそうである」。

 ここからサフランの話になる。

サフラン

 ここで問題なのは、知の優先である。現実に対する知の優先である。悪く言えば頭でっかちだ。これが、鴎外の軍医としての人生に影を落としたといえるのかもしれない。

 鴎外はドイツに留学した。そして、コッホも崇拝しただろうし、ドイツの医学、ドイツ流の思考様式を自らに取り入れたように思う。もともとの鴎外の性質と合っていたのだとも思われる。ドイツではベートーヴェンもブラームスも生まれた。いろいろな哲学者も。

 一方、英国に留学した高木兼寛は、実践的なものを学んだ。ナイチンゲールは、実際にクリミヤ戦争で、戦傷者の死亡率をさげた。統計も用いたが、極めて実践的なものだ。

 2人の違いは、抽象と具体かもしれない。そして、「サフラン」は、鴎外の密かな反省かもしれない。サフランの初出は、大正3年だ。高木の方が正しいのだとわかった後のことだ。自分が間違ったのは、頭でっかちのためであり、そのような自分の欠点によるものであるということを言ったのかもしれない。

 人は自分が間違っていたとしても、間違いでした、申し訳ないとは言えないのが普通でしょう。特に鴎外の場合は、兵食の失敗を認めてしまったら、業務上過失致死で、2万7千人も殺してしまったということになり、自分や自分の子孫のことを考えても意識の中から排除する以外になかったのではないでしょうか。

 そうして、自分自身にも隠していたけれども、皮肉にもサフランと2度目の出会いをして、意識に上らざるを得なかったのかもしれない。

(2022年12月)