楽訓 貝原益軒の幸福論を読み解く
益軒の養生訓が体の健康についての書籍としますと、楽訓は、こころの健康についての指南書のように思えます。彼が81歳の時に書いています。養生訓は83歳です。
巻上の総論に書いてあることから始めましょう。天地の恵みを受けて生きているもので、人ほど尊いものはない、幸福なことだと言います。それなのに、多くの場合、愚かで人の道を知らずに心を苦しめ私心のみ深く、思慮が浅く、鳥獣と同じように生きてしまうといいます。むなしく過ごさないためには、どうしたら良いか? 益軒は、聖人の道を学び、天地からもらった仁を行って、みずから楽しみ、人にも仁を施して楽しませるといいといいます。仁とは、あわれみの心を本として、行ったいろいろの善をすべて仁というといいます。
楽しみの定義として、益軒は、人の心にある天地からもらった至高の和の元気をいいます。天機が生きてやわらぎよろこぶ勢力の絶えないものを楽しみというといいます。そして、学ばなければこの楽しみのあるのを知らないといいます。
「仁者は之を見て之を仁と謂ひ、知者は之を見て之を知と謂ふ。百姓は日々に用ひて而も知らず。故に君子の道鮮し」。仁や智という道徳律を重視しない普通の人々は、人間が一陰一陽の働きによって生かされていることを知らない。それゆえ一陰一陽の道を体得した君子人はほとんどいない。という易経の中の言葉を挙げて、そのようなものだといっています。
この楽しみを失う要因として、益軒は、私欲を挙げます。私欲に煩わされると。この楽しみを失う。この楽しみは、鳥獣草木にもあるが、そのことを知らないといいます。これは本性から流れ出た楽しみであり、外に求めるものでない。耳・目・口・鼻・形の五感のわざを静かに欲少なく暮らせば、行きも帰りも楽しくないものはない。これは外物を楽しみの本としないからである。楽しみは内にあると強調します。
では、益軒にとって外物とは何か? 飲食、衣服などの外からの養いがないと、内の楽しみを保てないといいます。内の楽しみがあることによって、飲食や朝夕の景色、花の装い、木々の茂りなど、外物の助けを借りて、内の楽しみを助けるということになります。
天地の心に従い、わが仁心を保ち、つねに楽しみ、温和、慈愛を心がけ、情け深く、人を憐み、人に恵み、善を行うのを楽しみにしなければならぬ。人の悪さをさとそうと怒り、ののしるのは、やむを得ない場合である。
「精神科医の視点」で、寛容と不寛容について述べましたが、これを読むと、益軒の場合も寛容が主であり、不寛容は特殊な場合に限定されます。ただし、この「やむを得ない場合」がどのよう場合なのかは明確になってはいません。
ああ、思い出しました。親鸞が怒ったのは、息子が「父親から特別な秘密の教えを受けた」などといって北関東で信者を惑わせたときでした。80歳代の親鸞は、息子を勘当することになりました。
話はどんどん展開してしまいますが、偉人の子供が必ずしも立派な人間にはならないということ、むしろ、問題のある人物が多いということがあります。ガンジー、トルストイも。「偉人の残念な息子たち」という書籍があるくらいです。それにはきっと理由があるはずですが。不思議なことです。
貝原益軒の肖像画は、貝原真吉が所有しているということで、子孫は現在まで無事につながっているのでしょう。65歳の時らしいです。狩野昌蓮が1695年頃描いたということです。表情はとてもよく描かれていますが、独特の遠近法?です。2021年7月19日
和楽をむねとしての項では、「人間は天地の恵みを受けて人となっているのだから、つねに楽しみ、温和・慈愛をこころがけ、人に恵み、善を行うのを楽しみにしなければならない。人の悪をさとそうと怒りののしるのは、やむを得ない場合である。普段は和を旨として気を養うべきである。しかし、和ばかりで礼がないと一方に片寄って乱れて楽しみを失う」。
さらに次の項では、「人の憂苦を思いやって、人の妨げとなることをしてはいけない。つねに心にあわれみがあって、人を救い恵み、かりにも人を妨げ苦しめてはならぬ。人とともに楽しむのは天の喜ぶ理であって、真の楽しみである。さらに続いて、人をうらみ、怒り、みずからをほこり、人をそしり、人の小さな過失を責め、人の言葉をとがめ、無礼を怒るのは器量が小さいのである。これはみな楽しみを失っているからそういうことをするのである。怒りと欲をこらえ、心を広くして人を責めとがめないのは器量が大きいのである。これが和気を保って楽しみを失わない道である」。
「器」(うつわ)ですが、論語 為政の12に「子曰く、君子は器ならず」というのがあります。この訳は、加地伸行は、「教養人は一技、一芸の人ではない(大局を見ることができる者である)とし、貝塚茂樹は、「りっぱな人間は、けっして単なる専門家ではいけないものだ」。「器」はある特定の用途に応じる道具である。人間はそんな一つの働きしかしない機械であってはいけない。単なる専門家ではいけない。宇野哲人は、「人格が完成した人は、器物がただ一つの用に役立つだけで他に通用できないようなものではない。解説には、この章は君子は一能一芸を守らないことを述べたのである。君子は広く事物の道理を窮めて何事にも応じることができるのである。器は道具としている。
さて、公冶長の4で、弟子の子貢(しこう)は、私はどういう人間でしょう?と孔子に尋ねています。孔子は「子曰く、なんじは器なり」どういう器ですか?と聞くと「瑚璉なり」といいます。瑚璉(これん)は、各種の器の中で貴重華美なる器らしいです。孔子からの評価が一番高い弟子は顔回ですが、おそらく顔回は、こういう質問をする必要すらなかったでしょう。
澁澤榮一の論語講義によると、非凡達識の人になると、一技一能にすぐれた器らしい所はなくなってしまい、万般に渡って奥底のしれぬ大量大度のところがあるものであるとし、大久保利通は、嫌い嫌われたが、器ならずとは候のごとき人をいうのだろうと思うといいます。たいていの人は識見が卓抜でも、その心中はうかがい知れるが、大久保候は、どこが候の真相であるか、何を胸の内に蔵しているのか、測り知れなかったといいます。西郷隆盛もそうで、すこぶる親切で同情心が深く、寡黙な人で、外見からは、果たして偉い人か鈍い人か分からなかった。賢愚を超越した君子の趣があったとしています。木戸孝允候も同様に器ならざる人だったが、勝海舟は、器に近い人だったと思うといいます。
次に行きましょう。世の人のすることに不都合が多いのは、うき世の習いであるから、どうにも仕方がない。教えても従わぬのは愚人である。聖人でも力が及ばない。人の愚かなのを怒って自分のこころをなやますのはよくない。人が悪く生まれついたのは、その人の不幸である。あわれんでやらねばならない。こだわってうらみとがめ、みずからを苦しめてはならない。人が悪いからと言って楽しみを失うのは愚かである。(7月31日)
小人が思いもかけない悪事をしたり、非人情で道理にはずれた横着ものがいたりするのも、昔からある世の習いであるから、普通の人間はそういうものだろうと思いやって、うらみ怒ったりしてはならぬ。
ところで、「小人」とそれと反対に当たる「君子」ですが、現代では使わないです。論語の中などにはたくさん出てくるわけですけれども、たいていの訳者は、そのままです。宇野哲人は、講談社学術文庫の論語新訳で、「君子を人格の高い人をいう」としています。「小人」は不善な人と訳しているところもありますが、「下にある人民」としたりそのまま「小人」と訳したりします。貝塚茂樹は、中公文庫の論語で、君子を貴族と訳しているところもあります。加地伸行は講談社学術文庫の論語の中で、君子を教養人、小人を知識人と訳しています。君子と小人の両者が入る論語の一番短い文章は、「子曰く君子は上達し、小人は下達す」でしょう。宇野は、「君子は平生(へいぜい)正しい道に従うから、その徳が日に進んで、光明の極に達する。小人は平生私欲に従うから、その徳が日に降って汗下(おか)の極に達する。そして、上達下達の分かれるところは、理に従うか、欲に従うかにあるとしています。加地は、「老先生の教え。教養人は根本や全体が分かる。知識人は末端や部分について知っている」。上は道徳、下は財産や利益ともしています。貝塚は、「先生は言われた。君子は次第に高級なことが分かるようになるが、小人はしだいに低級なことが分かるようになる」。吉川幸次郎によれば、「君子は本質的なことに通暁しようとし、小人はつまらない末梢的な事柄に通暁する」。(8月13日)
堯(ぎょう)・舜(しゅん)の聖人もわが子が親に似ないのをどうにもできない。わが子弟・親戚などが、教えてもしたがわなかったら、責めとがめて和を失ってはならない。人が生まれつき親に似ないのも、自分がそういう人物に出会って不幸なのも、みな天命であるから、みずから苦しみ人を怒って楽しみを失ってはならない。
堯と舜は、ともに古代の理想的な聖天子(金谷治)。論語の中には次のような個所があります。「子貢(しこう)が仁のことをおたずねして、「もし人民にひろく施しができて多くの人が救えるというのなら、いかがでしょう、仁といえましょうか」。先生(孔子)はいわれた、「どうして仁どころのことだろう、しいて言えば聖だね。堯や舜でさえ、なおそれを悩みとされた」。(雍也第六)
「偉人の残念な息子たち」という本があり、思わず購入してしまいましたが、ガンジーの息子も、トルストイの息子も、父親の平和主義、人道主義とは全く異なった主義をもち、やはり、父親としては、何とも言えない気分だったのではないでしょうか。自分が生涯を捧げてすすめてきた道を息子が阻害するようなことになるとは。親鸞の息子の善鸞も、自分の力を誇示するためでしょうか、父親の親鸞から秘密の教えを授かっているというようなでたらめを言って信者を惑わすことになり、親鸞は晩年に善鸞と絶縁せざるをえなくなりました。
そればかりでなく、天才とされる偉人の子供さんが精神疾患にかかることはすくなくありません。いろいろな解釈はできると思いますが、仕方のない事なのかもしれません。
精神疾患の場合、親御さんが自分の育て方が悪かったから子供が病気になったのではないかとか、素質を遺伝させてしまったのではないかなどとご自分を責めることがあります。どうしても人は原因を求めてしまいます。しかし、本当の原因など、人間の制限されたアタマではわかりません。益軒のいうように、天命と思ってもよいかもしれませんが、自分を責めないことが大切なように思います。周囲は何かあれば、親の責任にしようとしますが、自分を責めず、できることをやればよいのでしょう。もちろん、病気になった本人も不必要に自分を責めることがあってはならないと思います。エネルギーは自責のために使うのでなく、よりよい生活のために使った方がいいでしょう。
益軒は言います。「世の人は貧しい時は、悲しみ苦しみ、富貴をうらやんで楽しみがなく、富貴の時はおごり怠って欲をほしいままにし。金を費やして楽しみを求めるが、欲のために身を損なって、自ら苦しみ、人を苦しませる。すべて富貴も貧賤も、その願いは外にある。内に道を得なかったなら苦しみばかりで楽しみがない」。
益軒は内の楽しみを本とすべきだといいます。欲に悩まされないことが大切だと。世俗の楽しみは心を迷わせ、身を損ない、人を苦しませる。
良寛は、良寛道人遺稿(柳田聖山訳)で欲についてこう語っています。
「ボクが出会った俗物たちは、まったく、愛欲のカードに左右されていた。何か手に入らぬものがあると、身も心も憂え苦しむ。よしんば欲望を満たしても、けっきょく何年もつだろう。天上の楽しみを一つ手に入れても、その十倍もの、地獄のとりことなる。苦行を積んで、苦悩を離れようと考え、それによって、苦労を長引かせる。たとえば、さわやかな秋の夜、月光が水面に浮かんでいるとせよ。猿は月を取ろうとして、群れを成して水中に飛び込む。やりきれぬのは、欲と色と神という、三界好きの諸君のことだ、いつになったら、止めるのだろう。一晩中、あれこれと考え続けて、涙を抑えることができない」。良寛は寺を持たず、弟子を持たず 2021年9月9日
「およそ、世俗の楽しみは心を惑わし、身を損ない、人を苦しめるが、外物をもっていうなら、月花を愛し、山水を見、風に詩を歌い、鳥をうらやむようなことは、その楽しみがあわいから、一日中楽しんでも身にさわらず、人のとがめにも神の怒りにもあわない。この楽しみは貧賤であっても得やすく、後の禍がない。富貴の人は驕慢と倦怠にすさんでこの楽しみを知らない」と益軒は言います。
そして、読書について、「色を好まなくてもよろこび深く、山林に入らなくても心のどかに、富貴でなくても心ゆたかになることである。・・・聖賢の書を読んで、その心を得て楽しむのは楽しみの極致である」9月14日