もう死にたいと思うときの生き延び方Ⅱ

 精神科ですから、死にたいと思っている人がたくさんいらっしゃいます。しかし、死にたいと言っていても、外来にいらしている方は、生きている方です。死んでしまったら来ることもできないので、生きている方が来るのは当然です。

 毎日のように死にたいと思っている人が、なぜ生きているのか。そこに、死にたい人が生き延びるヒントがあります。

 どうして生きているのか? 大変な事実があります。死にたいという気持ちは、いつも強いわけではないということです。死にたい人の死にたい気持ちは、時間経過とともに強くなったり、弱くなったりしています。

 これが、第1の問題です。

 そして、第2の問題は、人間は、その事実を忘れてしまうということです。

 このことを思い出さなければいけません。死にたいと思っている私がどうして生きているのか? それは、死にたい気持ちが続かないからです。そして、問題は、死にたいという気持ちがなくなる時が来るのを忘れることです。

 ですから、こう意識しなければなりません。死にたいという気持ちは、続くわけではないと。その証拠に、まだ、生きている自分がいる。それを知っているのに、死にたいという気持ちが強くなった時にすっかり忘れています。

 もちろん、その間に、誰かに相談するとか治療を受けるなどの対策をとるべきですが。

 これは、何かと考えますと、一言(否二言)で言えば、「死にたいという気持ちは諸行無常(しょぎょうむじょう)だ」ということと、諸行無常だということを忘れてしまうことです。人は大切なことを忘れてしまうので、諸行無常と言う言葉が強調されるのでしょう。

 平家物語の「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」。

 諸行無常は、仏教の根本思想の一つです。

 この世のできごとや存在は、常に流動変化するものであり、一瞬といえども同一ではない。「諸行」とは因縁によって起こるこの世の現象を指し、「無常」とは一切は常に変化し、不変のものはないという意味だそうです。

 死にたい気持ちも諸行無常で変化するのです。そして、繰り返しますが、人は諸行無常の事実を忘れるのです。

 だから、死にたいときに意識しなければならないのは、死にたい気持ちは常在のものではないということを思い出すことです。 それは続かず、死にたいという気持ちが存在しない時が訪れるのです。

 そのことをあなたは知っているが、忘れているだけなのです。そして、死にたい気持ちが出てくることにあなたの責任はありません。生き方が間違っていたから死にたくなったのではありません。過去の不適切な行動によって、死にたいという気持ちが出てきたわけではありません。さらに、誰かのせいで死にたくなっているという考えも正しいとは言えません。2025年7月