呉秀三と当院のルーツ
2025年に新しいB館が稼働し始めました。この機会に当院のルーツについてお話ししようと思います。
当院は精神科専門医を育てていますが、その母体となっている日本精神神経学会は精神科専門医の資格の管理などを行っており、全国の精神科医のほとんどが入っている学会で2万人ほどの会員がいます。
日本精神神経学会は、124年前の1902年明治35年に呉秀三(くれ しゅうぞう)という精神科医が創立したものです。東京帝国大学の精神科の第2代教授です。

呉秀三は、西洋の留学から帰国して、125年前、1901年(明治34年)11月に現在の東京都立松沢病院の院長に就任し、ただちに以下のような改革を断行しました。
当時使用されていた拘束衣などの使用を禁じ、これらを焼却しました。隔離室の使用を厳しく制限し、開放的な処遇を行うなど、近代的な治療環境を整えました。
呉秀三の功績は病院内にとどまらず、当時日本各地で行われ、法律的にも合法であった「私宅監置(座敷牢への幽閉)」という制度の撤廃にも向けられました。

この報告書の中で、「わが邦十数万の精神病者は、実にこの病を受けたがために、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」という、当時の日本の精神医療の遅れを鋭く批判した言葉を残しています。呉の生涯を描いた映画が近年制作されています。
多くの専門家が、隔離や行動制限に慣れてしまったり、病気なのだから仕方がないとしてしまったりして、自分自身の感覚を鈍麻させたのに対して、呉秀三は、自然で感受性豊かな感覚を持ち続けたのです。これは、耐えがたかったに違いがありません。
いけない事はいけないのだと感じ続けたのです。人が足りない、建物が足りない、力が足りないのせいにしなかったのです。現代でも同じ問題が継続しています。できないからといって鈍麻してはいけないのです。解決できないとしても、直面して苦しみ続けなければならないのです。そして、尊厳を守るために、挑戦し続けなければならないのです。
当時、14,5万人の精神障害者が日本にいて、公立、私立合わせても病院の病床数は 5千床たらずであり、残りの人たちは、私宅監置か、神社仏閣や民間療法で扱われていたのでした。呉は、患者さんのことを考えると、いたたまれない思いだったでしょう。そして、呉は、自分が何とかしなければいけないという重い責任を感じたのでしょう。精神科の病院が充足するのは、昭和40年前後でしょう。そのほとんどは民間病院が担ってきたのです。
呉秀三の孫弟子に秋元波留夫がおり、彼は金沢大学の教授を経て、東京大学医学部の第5代教授になりました。秋元波留夫は、呉秀三の業績を歴史的に再評価しました。例えば、呉秀三の生涯や、彼が批判した「私宅監置」の実態について研究し、著作の中でその先駆的な精神を伝えています。また、呉秀三が唱えた「患者の拘束廃止」や「人権の尊重」という理念は、秋元波留夫が戦後の精神医療改革や社会復帰の推進に取り組む際の大きな柱となりました。

また、彼は、松沢病院の倉庫に眠っていた呉秀三の胸像を掘り出し、きれいに磨き上げ、誰もが見られる場所に据え直しました。その意図として秋元は、「日本の精神医療の父」である呉秀三が唱えた「無拘束」や「私宅監置の打破」という理想を、職員や患者、そして社会全体に常に思い出させるための「旗印」としたのです。
日本の偉人を日本人が評価する、大切にするということが乏しいです。自虐的なためでしょうか、嫉妬のためでしょうか。もっと、大切にしなければなりません。日本人が日本人より、外国人に高く評価されることもあります。日本人が脱却すべき課題でもあります。
残念なことに、呉や秋元が目指した無拘束は、いまだに達成できてはいません。病棟で患者を見守るのは、医者ではなく、看護師たちであり、看護師が無拘束で患者を看護することができる体制が必要になりますが、それが完全にはうまくいかないのです。
隔離、拘束を行っていて、病棟内が落ち着いているとしたら最悪の状況だと思っています。それでは、ぜんぜんダメなのです。隔離や拘束を解除した場合に、案外落ち着いているというのもダメなのです。それでは、遅すぎるのです。

呉秀三の約100年前に拘束をフランスで廃止したフィリップピネルの立派な像がパリのサルペトリエール病院の門前に飾られているのと大違いです。サルペトリエールはダイアナ妃が交通事故後に運ばれた病院です。

当院の創始者の阿部完市は金沢大大学で秋元の弟子となり、秋元が東大に移るのと同時に東京大学の医局に入り、昭和38年に6月4日にこの地で開業しましたが、その日に、これから駐車場になるそちらに秋元波留夫もいらして、開業を祝い、医師も東大の医局から優秀な医師を派遣してきたわけで、当時の写真も残っています。

秋元は、呉の遺志を受け継ぎ、人道的な精神科病院にこの病院がなってほしいと考えていたことでしょう。また、それをしてくれると、秋元は阿部を信頼したのでしょう。ですから、この病院には、呉や秋元などの人道的な理念が宿っているものと考えられます。その大切な理念を引き継いでいかなくてはなりません。
2013年に創設50周年の記念樹として、モチノキを植えました。小さな木が正面玄関の先の小庭にある大きな木に育ちました。
文献
秋元波留夫:実践精神医学講義 日本文化科学社 2002
浦和神経サナトリウム 開院50周年記念誌 恕 2013

