偉人のうつ病 トルストイ その5 懺悔1

 トルストイは、1882年に「懺悔(ざんげ)」を完成しています。岩波文庫の原久一郎訳「懺悔」は、昭和10年に出版されましたが、私は昭和48年の第33版を入手しました。訳者の原は「真摯な告白」と評していますが、彼は正直すぎるくらい赤裸々に精神内面を語っています。ここまではなかなか書けないのではないでしょうか。この「懺悔」を読み解いていくことにします。

1869年ころ

 トルストイは、ギリシャ正教の洗礼を受け、この信仰によって養い育てられました。子供の時、彼は非常に泣き虫だったそうです。感受性が強いということでしょうか。これは、前に述べました白隠ガンジーの幼少時の特徴にも一致します。白隠はたまたま見た絵芝居にショックを受け恐怖感が心に残ってしまいました。ガンジーは、教師から誤解されたことをひどく気にして号泣しました。彼らに共通する感受性の問題は、感じる力とでも言ったらいいのでしょうか。感受性の強さは偉人の成立に必要な特性なのかもしれません。

 トルストイは、大学を退学した頃には、それまで教えられてきたものを何も信じなくなりました。また、大学生の兄ドミートリイが突如信仰に身をゆだね道徳的な生活を送るようになったのをみんなで嘲笑したといいます。そして、正教を公然と信奉している連中は大部分、魯鈍な、残忍な、自分を非常に大切なものと考えているような人々の間に見出され、明智、誠実、率直、善心、徳行などという善徳は、大部分、不信心者と自称する人々の間に見出されると言い切っています。「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや(歎異抄)」と関係ありましょうか。

 聡明で誠実な青年Aは、16歳ころ、兄らと狩りに出て、祈りをするために跪(ひざまづ)いたという例をトルストイは提示します。兄はじっとその様子を見て、彼に「お前はまだそんなことをやっているのかい」と言ったそうです。2人はそれ以上口をききませんでしたが、それを境に青年Aは跪いて祈ることをやめ、教会にもいかなくなってしまったといいます。二宮金次郎は、「大学」を音読しながら歩いていた時に「キ印の金さん」などと馬鹿にされたのですが、それと似た出来事ですね。こういうことは、大多数の人に起こったし、現に起こっているとトルストイはいいます。トルストイ自身は、15歳から哲学書を耽読し16歳から跪いて祈ることをやめました。しかし、彼はキリストやその教えを否定することはなく、何ものかを信じていましたが、それが何かとは言えなかったといいます。

 その頃の彼の唯一の信仰は、完成に対する信仰だったといいます。肉体的方面での完成、道徳的な完成を目指しましたが、神に対してよき人になるという欲望ではなく、他人に対してよりよき人になろうという欲望に代わってしまったといいます。

 組織に対する忠誠、主義に対する信奉などは、神に対してよき人になろうと努力するのと違い危ういものとされます。しかも、トルストイのこの欲望は、他の人々よりもより力強い人になろうという欲望、言い換えれば、他の人々よりもより名誉ある、より枢要な、より福裕な人になろうという欲望に代わってしまったといいます。

 悪魔はイエスを高い山に連れて行き、すべての国々の栄華を見せて言った、「もしあなたがひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」とイエスは言っています。(マタイ第4章8-10)

 そのころの日本では、1901年に、「名誉の競争があり、財産の競争があり、実力の競争があり、門閥の競争があり、他人の歓心を買おうとする競争があり、人の機嫌を損じないようにする競争があり、上を追い抜こうとする競争がある。・・・われわれが父母に孝順になれないのは、一種の競争心があるからだ。君主に忠順になれないのは一種の競争心があるからだ。修身道徳のこころと競争とは決して両立しない・・・」。これを語っているのは、清沢満之(きよさわまんし)です。(清沢満之 精神主義、中公バックス)清沢は、トルストイより遅く生まれて肺病で早く死んでいます。浄土真宗大谷派の僧です。

清沢満之(中公クラシックスより)

トルストイは、最も自分の真実の願望となっているのは、道徳的に立派な人間になりたいと思っていることであるが、それを言い表そうとするたびに、侮蔑と嘲笑に出会うのだったといいます。しかし、そういった真実の願望でなく、いまわしい情熱に身をゆだねるが早いか、私は称賛され、激励される始末だったと言っています。トルストイは、最初の小説「幼年時代」で有名になり、ツルゲーネフなどと席を並べるようになったのです。しかし、それは、トルストイにとっては、彼の言葉からもわかるようにある意味で失敗だったのです。彼は虚栄心と利欲と高慢心から、物を書き始めたと言います。そして、悪いことに成功して称賛されるようになってしまったのです。

 虚栄心、高慢、利益、勝利などの望ましくない動機のもとに行動しても成功してしまうのですから人間は不思議です。動機が不純でも成功するのです。どういうことでしょう。ただ、若者が崇高な理念のもとに物事を行うというのは、そう考えられることではありません。誰かに一歩でも勝りたい、異性にもてたい、より金持ちになりたい、そういう動機とやっていると楽しいということから物事に取り組むことは多いと思います。その動機がだんだんと純化していくのが望ましいのかもしれません。

ともかく、若いトルストイには、立派な人間になりたいという欲求と、利益、虚栄、世間的な成功などの欲求の両方を持ち合わせていたのだと思います。また、そのように動機の中に不純なものがあることが、彼を常に苦しめていて、彼はそのことを無視するわけにはいかなかったのです。気持ち悪いところがずっと付きまとったのではないでしょうか。人間は、ふつう、自分の行動の中に不純なものがあっても、それを無視したり、問題がないと思い込ませようとします。そのこと自体にも気が付かないことがあるでしょう。ところがトルストイには、善悪を敏感に感じ取る力があったのです。

 「私たちの聖人になりたいという気持ちが大切なのです。なぜなら、その気持ちが私たちを神に近い者にしてゆくからなのです。・・・聖なる者になろうとする道を選んだ人は、多くのものを捨てること、誘惑に遭うこと、自分と闘うこと、迫害に遭い、多くの犠牲を捧げることを覚悟しなければなりません」(マザー・テレサ 愛と祈りの言葉 PHP文庫)トルストイは財産を故意に失っていきます。ソフィア不夫人には十分には理解できなかったでしょう。

 彼は、文人たちをよく観察した結果、彼らのほとんどが、不道徳な人間であり、性格のくだらない下劣な人間であり、もっとも低劣な人たちでありながら、徹底的な自信と自己満足とに終始している人たちであるという確信を得るに至ったといいます。これらの人たちとの交際によって、トルストイは自分が、病的に増長した慢心と、俺は世人を教え導く使命を帯びた人間なんだぞという、狂的な自信という悪徳を背負い込んだといいます。会社の役員たち、町の名士のグループ、医者や弁護士、知能のいい人の集団、いわゆる成功者たち、金持ちのお仲間、彼らはどうなんでしょう。そこには、自分たちは他の人たちとは違う特別な人間である、それはこのグループに入ったことで証明されている、などということを考えてしまうのではないでしょうか。人は高慢という悪癖からなかなか抜けられません。自分を支えるために必要であったりするらでしょうか。そういうことで安堵が得られるというのも人間の不思議なところです。

トルストイ(左上)と文人たち

トルストイは、ある1年間、農業調停所員としての公務、学校事業、機関雑誌の発行とに従事したといいます。ごたごたがたえなかったので閉口した、悪戦苦闘して辛くなったと書いていますが、これらの結果、「精神的な病気にかかった」としています。彼は一切を投げ出して、パキシール族の住む荒野に旅立ったといいます。桜町で行き詰って失踪した二宮金次郎と同じです。旅から戻り、彼は結婚し、それからというもの、生活の全部が、家庭に、妻に、子供たちに、したがってそうした生活の資本である財産を増やすことに集中したといいます。自己とその家族ができるだけ幸福になるような生き方をするのだという真理を説きながら著作を続けていたといいます。

 そして、さらに15年が過ぎたころ、何やらひどく、奇妙な状態が、時おり自分の内部に起こってきたと言います。いかに生きるべきか見当がつかないような懐疑の瞬間が訪れ、憂慮の底に沈むようになりました。こういう懐疑の瞬間が、いっそう頻繁にいつも同一の形をとって、反復されるようになってきたと言います。生活の運行が停止してしまったような状態ともいいます。仕事に着手する前に、何のためにそういう仕事をやるのかを知らなければならない、その理由を知り極めないうちは、何事もできなくなってしまったといいます。「何のためにするのか」、「世界中の作家より名声を得るかもしれない、しかし、それがどうしたというのだ」、「答えが出ないが、答えがなければ生きていくことができないのだ。生活の根底が無くなってしまった。生きていくべき何ものもないような気がした」といいます。自明であるはずのことがわからなくなりました。ふつうは無意識の中で処理される仕事が意識の中に侵入してきた、そこでの解決が必要になったということでしょうか。そういう病的な精神状態であったと思われます。

 なぜこのようなうつ状態に陥ったかですが、本人の素因はありますが、もう一つは、過剰な活動にあったのではないでしょうか。本人のやっている仕事の量と質とは大変なものでした。そして、彼は負荷がかかっていることを認識できなかったと思われます。これは、ある種のうつ病でみられることだと思います。それでも新しい成果が出たときはまだよかったかもしれませんが、世界一流の成果であっても同じようなものだと効果を失うのでしょう。あるいは、成果が出ずに、期待外れが続くと、急激にうつ状態が悪化するかもしれません。

 そして、彼は50歳前のころ「人生は無意味なものである」という結論を出します。そして、「もうこれ以上生きていけない気持ちになった。この私が自殺しようと欲していたとは言えない。自殺という考えが、きわめて自然に沸き起こってきた。戸棚と戸棚の間の横木で縊死するのを避けるために、ひもを隠した。鉄砲を持って猟に出るのをやめた。このとき、自分の人生は、いかなる点からみても全くの幸福であった。愛し愛される善良な妻と、いい子供たちと、ひとりでに増大していく莫大な財産があった。友人や知人から尊敬され、見知らぬ人々から称賛された。また、精神的にも肉体的にも同年代の人々にめったに見られないようなすばらしい精力を持っていた。ずっと草刈りを続けられ、8-10時間作家の仕事を続けられ、それだけ神経を張り詰めても何ら悪い結果はなかった。このような状況でも生きていけないような気持になり、また、死を恐れてもいた」と書いています。彼には自殺の強い危険がありました。同時に外部からみる彼の生きざまはもっとも幸福な状況にあったのですから皮肉なものです。ほとんど誰も彼のこの状況を理解できなかったのではないでしょうか。おそらく彼の妻さえも。

 人間は、高慢とか、皮肉、ちょっとしたいじわる、わずかな不正、小さな嘘などの邪悪なものを持っているのですが、それに気が付かなかったり、開き直ったり、無意識の中に閉じ込めようとします。しかし、感受性の強かったトルストイは、ごまかすことができなかったのかもしれません。自分の中だけでなく他者の中にもそういったものを見つけてしまいます。そのことが彼の運命を導いていったのかもしれません。