誰にも悪意を抱かず
体の病気は、自分が苦しむ病気です。ところが、精神疾患は自分も苦しみますし、他者を困らせたり迷惑をかけたりする不思議な病気です。そのため、ひどい場合だと患者さんに良からぬ感情をもってしまうということがありえます。この他者に対する悪意のような陰性感情を克服するということが、精神科の医療職にとって重要なことです。
1809年2月12日アメリカの中部の粗末な丸太小屋で エイブラハム・リンカーンは生まれました。後に大統領になったリンカーンは奴隷解放を行い、アメリカの南北分裂の危機を乗り越えました。
リンカーンはアメリカの偉人ですが、江戸時代の同時期に日本にも偉人がいました。二宮金次郎が1787年9月4日に小田原に生まれています。金次郎が21歳の時に、リンカーンが生まれたことになります。
リンカーンと金次郎には不思議なことに多くの共通点があります。リンカーンは197cmの長身(193cmという説もある)。金次郎も高い身長であるとされ、小田原に残っているわらじは非常に大きいです。話は、どんどん変わってしまいますが、歴代アメリカ大統領に共通することは何かというと、身長が高いということらしいです。トランプは自称190cm。人格は関係ないそうです。ついでにメラニアは180cm。
リンカーンと金次郎は共に読書好きであり、リンカーンはキリスト教の聖書ほか、ワシントンの自伝などを読み、金次郎は中国の儒教の本を読みました。
リンカーンは父親に「農作業をする子供が本を読んで何になるのだ」と怒られます。金次郎も、両親が死んだ後、面倒を見た伯父万平に、「農民に本は必要がない、そもそも油が無駄だ」と言われました。金次郎は自分で菜の花を植えて油をとり、それで読書をするわけです。2人ともほとんど学校にはいけませんでした。
金次郎が薪を背負い、歩きながら読書する像が有名ですが、何と、リンカーンも歩きながら読書していたそうです。後で述べる西郷隆盛は、奄美大島に流された時、驚くべきことに800冊の本を持って行ったといいます。
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金次郎はきのという人と結婚するのですが、きのには金次郎の奉仕の精神がわかりません。それで離婚して実家にかえってしまいます。リンカーンはアメリカの奴隷制度の撤廃を目指して戦うわけですが、一方、妻メアリーは南部の裕福な家庭に生まれ、大ぜいの奴隷を召使ながら貴族のように育てられました。リンカーンには言えないけれども、ひそかに、奴隷制度は便利なものだと思っていたわけです。リンカーンが奴隷制度に熱心に対抗している時にも、メアリーはある人にこう言っています。「もしリンカーンが死んだら、私は南部に帰ってもう二度と自由州には戻ってこないつもりです」。
二人とも妻にあまり理解されなかったのです。偉人ですら妻に理解されないのですから、凡人が家族にわかってもらえなくても何ら驚くことではありませんのでご安心ください。
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金次郎は村の経済の再建を担うのですが、それを邪魔する豊田正作という武士である上司に悩まされます。金次郎は農民出身です。しかし、山籠もりして開眼すると、善と悪というのはないのではないか、こっちから見れば悪でも向こうから見れば善だということもあると気が付き、豊田に対するある種の悪意というか強い抵抗感が氷解したのです。やがて、豊田も変わって金次郎を信奉し助けるようになったのです。
一方、リンカーンは田舎の弁護士でしたが、散々悪く言うスタントンという都会の弁護士がいたのです。ゴリラを見に行くにはアフリカでなくて、イリノイ州にはリンカーンと言うゴリラがいるなどと暴言をいうのです。リンカーンは背が高いだけではなく、大きな斧を水平に持てるという怪力でしたので、ゴリラといわれたのかもしれません。
ところが、リンカーンは大統領になった時、陸軍長官にこのスタントンを任命しました。リンカーンの仲間はもちろん反対するわけです。しかし、資質があるから適任だ、過去のことは関係ないとリンカーンはいいます。その後、スタントンは最善を尽くして働きました。
リンカーンが劇場で撃たれて倒れたとき、「リンカーンはもっとも偉大な人だった」と言ってスタントンは号泣しました。そんなリンカーンが2回目の大統領就任式で言った言葉が、誰にも悪意を抱かず、慈しみをほどこすべきだということです。奴隷解放を目指して南北戦争をしていた時です。戦争に勝利した後、普通なら憎き敵軍のリー将軍を手厚く扱ったわけです。そして、アメリカが南北に分裂するのを回避しました。
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1865年3月4日の第2次大統領就任演説の最後に語っています。「なにびとに対しても悪意を抱かず、すべての人に慈愛をもって、神がわれらに示し給う正義に堅く立ち、われらの着手した事業を完成させるために、努力をいたそうではありませんか」。
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リンカーンが生まれて18年後、1827年12月7日、鹿児島県で西郷隆盛が生まれました。官軍は戊辰戦争で幕府軍と戦うのですが、庄内藩現在の山形鶴岡ですね。庄内藩は江戸の薩摩藩の藩邸を焼き討ちしていたため、ひどい罰が下るだろうと思っていました。ところが、非常に軽い処分で済んだ。それは、西郷隆盛が敵であったとしても尊重し手厚く扱えと指示したためだということがわかります。
西郷隆盛がよく用いた言葉は敬天愛人です。金次郎は、天道と人道について何度も言及しています。
同じようにリンカーンは、大統領に選ばれて、25年暮らしたスプリングフィールドを1861年2月に発つとき、聴衆に演説したのは、「あの人間以上のものの力添えがないなら、私は成功することができません。その力添えがあれば、私は失敗するはずがありません」。
話は西郷さんに戻りますが、庄内藩の元藩主らは予想外の温情に感激して鹿児島に訪ねていき、西郷からいろいろのことを教わりました。そして、西郷が死んだあと、庄内藩の人たちが、西郷の語録をあつめて、南洲翁遺訓というものを作りました。鹿児島でなく、庄内の人が作ったのが面白いところですね。
というわけで、自分を困らせる人であっても、リンカーンの言ったように、誰にも悪意を抱かず、慈しみをもって接することが大切であるということがわかります。それが、素晴らしいことを引き起こすこともあるということです。それは、人を変える力を持つということです。(2024年11月)