偉人のうつ病 トルストイ その3 不器用

 レフ・トルストイは、ロシアの裕福な貴族の家庭の四男として生まれたものの、2歳のとき母親を病で失い、9歳の時に父親も失いました。二宮金次郎より早く両親を失っています。とても感じやすく、泣き虫な子でした。幼少期から考えることが好きで、周囲からは哲学者と言われていました。青年期から日記をずっとつづっています。感受性の強さ、考えて書くこと、それが、作家としての技量をはぐくんだのかもしれません。彼は青年期に人生の計画を立てますが、それはより良い人間になるということです。それが、彼の人生を支配し続けました。

 マザー・テレサは聖人になることを一つの目標とし、人にも勧めています。「私たちの聖人になりたいという気持ちが大切なのです」(マザー・テレサ 愛と祈りの言葉 渡辺和子訳 PHP文庫 p.25)ガンジーも理想とする人間になるために修行を続けましたが、それを実験だと言っています。当たり前のことではあるかもしれませんが、彼ら偉人たちは、より良い人間になるという志を生涯にわたって持ち続けたという共通点があります。

 しかし、ガンジーと同じように若い時のトルストイは考え方や行動は偏っていて、不器用で、思い立つと強引に行動し、しばしば失敗し、他者を許容できない面がありました。とても良い人間とは言えなかったわけです。大学は結局中退し、社交界では要領よく振舞えず、もたもたしていて女性にもてませんでした。彼は自信を持つことができず、自分を落伍者のように感じて大学をやめてしまいます。授業についていけず、中退してしまったガンジーと同じです。彼らは、必ずしも健全な思春期や青年期で人生をスタートさせたわけではないのです。むしろ、理想と現実とのギャップのために、挫折感や苦渋というものを強く味わったはずです。

 トルストイは、自分の人生がうまくいかないことをどう思っていたのでしょうか。ひどく傷つき、疎外感、劣等感を感じていたのではないでしょうか。その細かい変遷は分かりませんが、23歳の時に、「愛と宗教こそが純潔で高い感情だ」と日記に書き綴っています。彼は、真理の追究、神、愛というものにそれ以降彼の人生を捧げます。現実生活がうまく営めないことの反動として、理想的なもの、信じられるもの、裏切られないものを求めたのかもしれません。

 トルストイは、ナイチンゲールとは敵側で、激戦のクリミヤ戦争を戦ったことは前の回でお話ししましたが。従軍の前にすでに「幼年時代」で作家の仲間入りをしていたトルストイは、戦後、ツルゲーネフなどの文人たちと付き合い始めます。しかし、当時の彼は理想はありましたが、なお道徳的に望ましい人間ではなく、戦争時の生活をそのまま持ち込み、飲む、打つ、買うのすさんだ生活をしており、些細なことでかっとして決闘を口にして脅かすこともあったそうです。

 彼自身は、ツルゲーネフなどの文化人たちは戦争の悲惨さも知らず、自分たちはよい境遇にいてのほほんとしていることが許せなかったようです。下の写真のトルストイは、一人だけ軍服を着て腕を組み、何かを主張しようとしているようにみえます。文化人たちからみると、トルストイは無学で論理もまとまらず、田舎者のように見えていたらしいです。不器用さは相変わらずだったのでしょう。うまくなじめず、付き合い下手なトルストイは、年上の作家たちからは気難しい若者とみられていたでしょうし、トルストイの方も彼らを許容できなかったのではないでしょうか。二宮金次郎も薪を背負い、「大学」を音読しながら歩いた時、「キ印の金さん」などともいわれたといいますが、本当だとすると似た境遇にあったのかもしれません。

ペテルブルグの文壇 上左 軍服がトルストイ その前がツルゲーネフ

 トルストイにしても金次郎にしてもガンジーにしても、周囲の人たちからそれほど立派な人間になるとは思われていなかったようです。キリストですら生まれ故郷のナザレでは、大工の息子と言われてうとんじられて、奇跡も行わなかったとされています。(マタイ13章、マルコ6章、ルカ4章)そそくさと街を去っています。

 金次郎は言っています。「ことわざに『聖人聖人とは誰がことと思いしに、おらが隣の丘(きゅう、孔子)がことか』ということがある。私が鳩ケ谷宿を通った時に、富士講で有名な三志という人がいるので、三志といって尋ねたが誰も知る人がいない。よくよく問い尋ねたところ『それは横町の手習い師匠の庄兵衛のことだろう』と言われたことがある。これと同じだ」(児玉幸多訳 二宮翁夜話 中公クラシックス p28)偉人は周囲ではまったくそのようにはみられないということが共通しています。

 天才は周囲がどうあろうとやがて才能を発揮するのだから、特段、支援しなくても大丈夫だという意見と、保護的にするべきだという意見があります。やはり、才能がありながら開花できなかった方はいくらでもいるので、私たちは支援できるなら支援するべきでしょう。しかし、凡人には、だれが才能があるのかということがなかなかわかりません。天才や偉人は凡人の理解を超えているのでしょうから。

 また、トルストイは途方もないことを考え、そして、それを実行に移していきます。自分の領地の農奴を解放しようと考えたのです。彼の人間の平等性の思想からみて、支配者と支配される側があること、搾取する側とされる側のあることが許せなかったのでしょう。支配者は自分たちの特権を何とか維持しようと考えたり、それを子孫にも残そうと考えるのが普通ですが、彼はそうは考えませんでした。自分たちの特権を放棄しても人間の平等を実現したかったのです。しかし、そう簡単に事は進めなかったのです。トルストイの人道的な行動をそういうことに慣れていない農民たちはかえって不審の目で見たのです。トルストイはまたしても挫折し深い傷を負ったようです。

大道芸人

 ある時、トルストイは、アルプス地方に旅行して最高級ホテルに泊まるのですが、そのホテルの前で大道芸人が熟練の芸を披露し、芸の終了した後、投げ銭を求めます。しかし、誰も金銭を恵まず、せせら笑っているような差別的態度がトルストイには許せませんでした。トルストイは、高級ホテルに道化師を入れて酒をふるまおうとします。しかし、レストランでは入店を断られて、庶民向けの酒場に入れられ、ボーイやドアマンもおかしな二人を好奇な目でみてニヤニヤ笑うのでトルストイはさらに怒り出したそうです。貧しいというだけで人を軽蔑した金持ちの観光客の多くはもっとも進歩しているはずのイギリスの国民たちでしたので、トルストイは裏切られた気持ちでなおさら絶望を感じたでしょう。トルストイのように、経済的、地位的に恵まれた人間が人間が差別されていることに許せないというのは、マガダ国の王子であったブッダもそうです。ふつうは弱い側の人たちに対して無関心になってしまうでしょう。ああそうでした。ナポレオンが淑女と歩いているとき、向こうから来た老人が重い荷を背負ってきたので道を空けました。淑女は、あのような身分の低い者に道をお譲りになる必要はないでしょうにというと、ナポレオンは、せめてあの重荷を尊敬せよと言ったそうです。

トルストイと大道芸人

 このトルストイと大道芸人、そして、差別する群衆の構図は、イエスが「あなた方の中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」(ヨハネ第8章)と言った場面と少し似ているように思います。自分たちは穢れた女より、偉い人間だと思っている、立派な人間、正しい人間だと思っていて、そうでない人を糾弾しようとします。あるいは、自分が常識的なグループにいると安心しようとします。しかし、そうではないでしょう。善と悪の区別は難しいでしょうし、善も富貴も自分の努力で得たものでもないでしょう。高慢さに気づくことは難しいと思います。人を裁くことはそう簡単にはできません。

女に石を投げる

 この顛末は、「ルツェルン」(そこの地名)という小説にすぐにしたそうです。差別体験は偉人に大きな影響を与えます。弁護士だったガンジーは南アフリカで、金を払って1等列車に乗ったのですが、有色人種だという理由で、3等車に行けと言われ、抵抗すると無理やり追い出され、駅で荷物とともに放り投げられます。馬車に乗ってもひどい仕打ちを受けます。これらは自伝に詳細に記載されています。ワールドカップラグビーで南アフリカのチームに白人も有色人種もいるのを感慨深くみましたが、ガンジーやネルソン・マンデラらの戦いが勝利に導いたのでしょう。

 トルストイは、年を取るに従い、一人一人の人間にはやさしく接するのに、社会の悪には徹底的に抗戦する、許せないと戦い続けるという特色があります。ガンジーも人に対してやさしく受け入れる、敵に対してもです。英国では、ガンジーと話していると取り込まれてしまうので、注意せよと言われます。確かに、対立しているイギリスの将校なども引き付けられてしまいます。しかし、同様に差別とかの問題については徹底的に抗戦します。ガンジーのことを嫌いだった有名人がいます。好きにならないように気を付けていたのかもしれません。イギリスの首相チャーチルです。

ガンジーに取り込まれる? クリップス卿 1942 「人間ガンジー」より

 トルストイは、領地で自分の収入を抑えて、貧富の問題に対抗しようとします。農民の子供のために学校を開くなど農民の教育の向上にも貢献しますが、一方で、農民の人妻アクシーニアと性的な関係を持ちます。複雑で矛盾しており一貫性がありません。トルストイの人生を支配したものの一つに性欲の問題があるかもしれません。英雄色を好むということわざがありますが、天才的な発想、普通でない創造などには、脳のドパミン活動が関与しており、同時に性欲にもドパミン神経の活動が関与していますので、ことわざは科学的にもある程度説明がつきます。トルストイは、13人の子供を作っていますし、人妻との不倫などもあったのです。強い欲求と欲求を制御することとの闘いだったのかもしれません。

 妻ソフィアとの関係は複雑です。ソフィアは、戦争と平和、アンナ・カレーニナなどを悪筆なトルストイに代わって清書するなど、ある意味でトルストイに尽くしています。子供もたくさん産みました。しかし、トルストイは、自分の特権的な地位や財産を放棄しようとします。著作権を放棄したり、多額のお金を前借して奉仕活動に使ったりしてしまいます。農奴も開放して徴収するものも失います。しかし、そういう偉大な取り組みを、妻が理解するのはふつう困難です。実際に妻は多くの子供を育てなければいけないのにトルストイは自分の理想ばかりを追っているようにみえてしまいます。トルストイはもっと大きなことを考えていますが、妻にとっては現実が差し迫った問題です。

 ガンジーは妻に強要して自分を理解させようとしてある程度成功します。ガンジーがインド人の南アフリカでの地位向上に貢献し、インドに戻るとき、多くの宝石類などをガンジー本人や妻にプレゼントされるのですが、ガンジーはそれを私有しようとせず放棄します。妻(カストウルバ)は泣きながら抗議します。その顛末はガンジー自伝(中央公論社)のp170-175に詳細に記録されています。ガンジーはこう言っています。「公のために奉仕している者は、けっして高価な贈り物はもらってはならないというのが、私の確固とした意見である」。そして、妻に対して一歩も引きません。そればかりでなく、妻よりカーストの下の寄宿者の糞尿の処理まで妻にさせます(ガンジー自身もした)。

 ガンジーは常に妻を制圧しているように見えます。一方、トルストイは、妻に言うべきことを言えずに内に秘めてしまうようにみえます。いや、偉人の配偶者はたいへんですね。ガンジーの妻は信仰という意味では同調するようになったのですが、ガンジーとの物理的距離は離れていったように思います。ガンジーは若くてきれいな女子と同衾して、欲望に負けない実験だとのように言っていますが、どうなんでしょう。金次郎の一番目の妻は自ら離縁して実家にもどりました。二番目の妻は金次郎の敵対者を酒でもてなすなどして金次郎を助けますが相当苦労したのではないでしょうか。マザー・テレサは、夫がいないあなたにはわからいと言われたとき、私の夫はキリストだといい、時々たいへんなことを要求されると言っています。ともかく、配偶者が偉人と同じビジョンを持つのは容易ではないでしょう。もし、うまくいったとしても、妻は偉人としての偉人を愛しているのでなく、家庭人としての夫を愛するのではないでしょうか。

 トルストイからしてみれば、妻は自分の理想を理解してくれないと思うし、それを強要することもできない、妻は、トルストイが自分に対してどう考えているかわからない、不安で日記を盗み見する、トルストイは心の内を話し合うということはできず、そういうことに耐えられず、家出を何回も考え、最終的には82歳になって決行し肺炎になって死ぬのですが、どこか、どうしようもない不器用さがトルストイには最後まで残っていたのかもしれません。

 トルストイが家出をした日の未明にソフィアが寝室にやってきて何かを物色していたのにトルストイは気が付いた、それが家出の引き金になったといわれています。社会的な問題に対しては強く主張できるトルストイもソフィアに対して、自分の思うことを言葉にして伝えるということがどうしてもできなかったのではないでしょうか。理解してもらえないことで傷ついたことがあるからでしょうか。その場から立ち去るという唐突な行動になってしまうようです。思考内容の現実生活に対する優位ということが、自閉の定義だとされることがあります。そうだとすればトルストイはソフィアに対しては自閉的だったのかもしれません。

 

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