優しくありなさい 偉人の名言? 2

 「優しくありなさい。あなたの出会う人々は皆,困難な闘いにいどんでいるのだから」という名言の出所を探す旅を続けています。この言葉をタイトルとする書籍ではプラトンの言葉とされていますが,そうではなさそうだというところから調査を始めました。

 今度は,ネットでプラトン研究者を探し,科学技術振興機構を通じてメールで問い合わせてみました。某国立大学の人文学部T教授が親切に,そしてわずか24時間以内にお返事をいただきました。

「管見の限り、プラトンの対話篇中にはありません。他方で、「困難な闘いにいどんでいる」という点は、文言としてではなく、ソクラテスの活動についての理解としてはあり得るものです。推測ですが、書籍の著者は、プラトンが描くソクラテスの姿を踏まえて、「優しくありなさい。あなたの出会う人々は皆,困難な闘いにいどんでいるのだから」と語り、それがプラトンに基づくものと主張した可能性があります。」とのことでした。

 そして,「「困難な闘いにいどんでいる」という表現は『ソクラテスの弁明』『クリトン』『国家』のなかにはありませんが、それを思わせるような箇所はあります。以下、いくつかを挙げておきます。『ソクラテスの弁明』・(「手ごわい告発者」18c)を相手に)「だれも答える者のいない状態で、ひたすら影と戦うようにして弁明し反駁しなければならない」(18d: 三嶋輝夫訳)。
・「それがどこであれ、人がいちばんよいと考えて自分を配置したり、あるいは指揮官によって配置されるその場所に、人は踏みとどまって危険を冒さなければならないのです。」(同28d)

『クリトン』・「あの時ぼくたちが言っていたことは何にもましてあのとおりなのであって、大衆がそう言おうと言うまいと、またぼくたちが今よりももっと辛い目に遭うか楽な目に遭うかには関わりなく、不正を行うことは、すべての場合において、不正を行う者にとって害悪であり、恥辱である」(49B:田中享英訳)

『国家』(イデア論が語られる中心巻(5~7巻)の議論の導入に際しての言葉です。)
・「国制の問題について、まるで最初から出直すのと変わりないような、どれほど大へんな議論を君たちはあらためて呼び起してくれるのか!」(Rep.450A:藤澤令夫訳)
・「それを話すのは容易なことではないのだよ。何しろ、これまでわれわれが語ってきたさまざまの事柄とくらべてさえ、さらに多くの疑問を与えずにはいないようなことだからね。」(同450C)
・「故意でなく人殺しになることのほうが、何が美しく善く正しい制度かということについて人を誤まらすよりも、まだしも罪は軽いという気がするからね。だからこんな危険をおかすのは、・・・」
(同451A)

(カッコ内の英数字は翻訳上部に付されているステファノス版プラトン全集の頁数と段落記号)

とのことでした。T先生ご多忙の中大変ありがとうございました。というわけで,プラトンの書いたものの中には,一致するところはなさそうです。T教授は著者に好意的に解釈され,プラトンから見て,ソクラテスが困難な闘いに挑んでいる人と著者はみて,プラトンの言葉としたのではないかということです。

 次は,出版社の編集者が教えてくれたこの言葉の英文「Be Kind; Everyone You Meet is Fighting a Hard Battle」でネットで調べてみました。そうしたら,面白いことが分かってきました。

 私は,臨床の場に合致する内容の名言だと思っていました。というのは,精神科をしていますと私のような医者だけでなく,看護師もその他の職種の人も,病気のために興奮した患者さんや妄想のある患者さんから,誤解を受けることもあります。こんなことがあっても,日常の診療や看護を精神科病院の中でしていくのは大変なことです。患者さんには癒されることもありますが,上述したたいへんな場面もしょっちゅうあります。

 このような中で,正しい医療,望ましい医療をしていくためには,生来天使のような人でなければ,よほど病気のことを深く理解するとか,哲学的,思想的,宗教的な支えを持たなければ難しいのではないかと思っています。そういう明確なものがなければ,自分の思いと自分の態度に乖離ができてしまい,表面は良く見せて,内面では攻撃的な感情を押し殺している,あるいは偽善者であるということが避けられないように思います。そのようなことは,患者さんたちが,病気によってひとい闘いを強いられているということを忘れないことも大切な気がしています。そのような意味でこの名言はいいなと思い,さらにプラトンの言葉だといわれると,さすがプラトンということになって,ますます言葉の価値も上がるなと思っていたのです。

 この言葉の前後の文脈を知りたくて,著者が出典としている「ソクラテスの弁明」,「国家」などを読んでみたのですが,見つかりません。また,プラトンは,ほとんどの著書において,ソクラテスが青年やソフィストと対話を重ねていくのですが,ほとんどは,合意した前提の上に質問を重ねて,ある結論に追い込んでいくという手法です。ここには,命令調の「・・・・しなさい」は,2-3の書籍を読んだところではありませんし,ほかの著書でもありそうもない表現と感じました。

 それで編集者にも聞きましたが,はっきりした答えはわからず,プラトン研究者も少なくとも上記2書にはない,著者がプラトンをソクラテスのことをみていったのではないかというような返答でした。これ以上のことは,日本では無理と思い,編集者が教えてくれた英訳「Be Kind; Everyone You Meet is Fighting a Hard Battle」をグーグル検索に打ち込んでみましたところ,面白いブログをみつけました。
https://quoteinvestigator.com/2010/06/29/be-kind/

 これによれば,やはり,プラトンの物ではないという指摘があり,私とおなじような考えで,その出所を探ったものです。これが最終的なものであるかはわからないのですが,1900年前後の米国の作者数名まで辿れているようです。私は英語が苦手なので,詳しくは読んでません。興味をお持ちの方はどうぞ読んでみてください。

 では,日本のその著者はどうして,そうしたのでしょうか。おそらく,100の名言を集めたときに,外国の名言集を参考にしたのではないでしょうか。そして,その名言集には,その言葉はプラトンの言葉だと書いてあったのでしょう。だから,おそらく英語圏でどの段階かで,プラトンのものとされたのでしょう。その初めに間違った文献を知りたいなと思います。どなたか知っているのでしょうか。

 米国のブログを詳細には読んでなかったのですが、当院の寺尾先生が、その最初であると考えられる方の記録を探してきてくださいました。

 Ian Maclaren これはペンネームで、本名 John Watson は、1850年にEssex(イングランド東部の州)で生まれ、エジンバラ大学で学び、教会の副牧師として社会に出て、その後は、英国各地の教会を転々としましたが、その後、アメリカのエール大学で授業も行い、たくさんの著作も残しアメリカで1907年に亡くなっています。

 1897年の新聞ブリティッシュ・ウイークリーのクリスマス版に、彼は ”Be pitiful, for every man is fighting a hard battle."と書いたそうです。これが、辿れるところの最初のようです。彼が教員をしたエール大学の名言集には、プラトンの ものだと書いてあるのが、また、奇遇です。寺尾先生ありがとうございました。

 新渡戸稲造は、「世渡りの道」で以下のように述べています。

「大抵の人の行動には、内部に察してやるべき事情がある。外見に現れたことばかりで判断すべきではない。・・・例えば不興の顔をしている。何事にもつっけんどんな挙動をする。八つ当たりをするを見ては、ああこれは何か深い心配事があるからであろうと、よい方面を見て同情するようにする。これは修養を積まなくては実行は困難であるが、決して不能のことではない」

 これも意味するところは似ていますね。また、同じような内容の記載を見つけたら追加します。ここまで、お読みいただきありがとうございました。

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