獄中からの手紙
ガンジーは、1930年、収監されていたヤラヴァーダー刑務所から、弟子たちにあてて1週間ごとに手紙を出していた。ガンジーの思想のエッセンスが詰まっている。
数年前、私は獄中からの手紙を受け取った。投函者の彼は、その前、病院の保護室に入っており、怒りっぽく、職員に抵抗し、興奮した。そして、薬も飲まなかった。彼に薬を飲んでもらうように話した。ちゃんと飲んでもらえたかは忘れてしまった。彼は、深刻な精神病であり、そのために、心も行動も制御できなくなっていた。
そのうち、どうなったのか、彼は退院していた。そして、しばらくたった後、彼は刑務所に入ったらしく、そこから手紙が来た。内容はまとまりがないものの、何かを訴えようともしているようだった。助けを求めていたのかもしれない。
彼は純然たる精神疾患であり、何か犯罪を犯そうとも、それは精神病によるものだということが私には明らかだった。だから、刑務所に入っているのは、一見もっともらしい主張をするために、単なる犯罪者だと間違われたからだ。病者でなく、単なる乱暴者として扱われたのだ。そして、彼自身も精神病による犯罪だとは思っていない。だが、彼に必要なのは、罰ではなく、医療と保護だ。
別の例を出そう。入院している患者さんで、幼少時から脳に先天的な障害があることがわかっている人がいる。その人が若いころに、放火をして、刑務所に長く入っていた。しかし、今の彼は、器質的な精神疾患のために荒廃し、会話もままならない。事件を起こした時も精神疾患による犯罪であることは間違いない。彼に必要なのは、罰ではなく、医療と保護だ。
この前、外来に久々に来た患者さんが、刑務所に入っていた。その間、徐々に薬を減らされて眠れなくなってしまっていたという。治療は適切だったのか。我慢していたのか。我慢させられていたのか。彼を扱った人はどんな信念に基づいてそうしたのか。
こんなことは、たくさんある。もちろん理不尽なことだ。だが、もはや仕方がない。せめて獄中で良い治療を継続できるように願いたい。
ここで問題なのは、犯罪を犯したとして刑務所に収監されることによって、自分は悪い人間だと思うこと、あるいは思わされることである。反省させられることだ。病気なのに。
また、過量服薬をしてしまう人、それを繰り返す人、そのために身体科に運ばれる人も、その行為は、著しく病気の影響を受けている、むしろ、過量服薬は病気の症状の一つなのだ。肺炎の人が咳をしても反省させられないが、精神科患者が過量服薬すると反省させられる。おかしなことだ。
大きな問題は、その行為が悪いことであると周囲が思い込ませようとしてしまうことだ。患者は期待通りに自分は悪い人間だと思い込んでしまう。あるいは無意識に蓄積させられる。そうすると、患者は二重に苦しむことになる。
このように精神病は誤解される。ソクラテスやキリストが人々にはわからなかったように、私たちは精神病のことをわかっていない。みんな自分で思っているほど目が良くないからだ。ソクラテスやキリストは誤解されても傷つかなかった。しかし、精神病者は、傷つき、自分で自分を責めてしまうかもしれないし、表面上そう見えなくても、意識下では影響を及ぼし病状はますます悪化するだろう。