承認されるということ 犬の欲求階層説

 人間には、自分のことを誰かに承認されたいという欲求がある。これが人にさまざまな問題を引き起こしているのは確かだろう。それを検討したいが、一朝一夕にできるものではない。これがわかれば、人間はもっと自由になれるだろう。というのは、承認されたいという欲求は、人間を縛るし、時に支配し、追い込む。奴隷のようにしてしまうことさえある。

 マズローという米国の心理家をご存じであろうか? 欲求5段階説というものを打ち立てて有名になった。ずいぶん前の仕事なのに、今でも残っている。見ると、ああそうだと自分の感覚に一致する場合が多いからだろう。そういう意味では的を射ているといえる。

 あまりきれいにできなかったが見てほしい。まず、人間は、生理的欲求を満たすことが大切だ。食べること、眠ること、排泄することなどがあるだろう。1日でもそれができなかったら大変だろう。この大切さは分かる。安全欲求、社会的欲求も何となくわかる気がする。問題は、次の承認欲求だ。人から自分の価値を肯定してもらうというようなものだ。例えば、こんな素晴らしいことを思いついたマズローは本当にすごいとかだ。これにもいろいろな形態があるだろう。

 そして、最後は自己実現だ。これを正しく言えるかどうかは分からいけれども、自分の中にある実現されるべきもの、才能も伴うのだろうけれども、それを掘り起こし、開花させ、表現、行動することともいえる。私の勝手な解釈だ。マズローの考えとは違うかもしれない。

 さて、この問題を人について考える前に、について考えてみた。科学として話を進める場合、イヌとするのが正しいのだろう。ヒトの前にイヌについて考える。

 イヌは、ヒトと同じように生理的欲求の実現が重要である。食べること、出すこと、眠ることなど。本能といってもよい。飼い犬の場合、食べることはほとんどご主人様に依存している。なかなか自分で飲食の欲求を実現できないというところで大変である。でも、よく考えれば、人間も食べることについても、自力ではなかなかできない。自分で作るわけにはほとんどいけない。作ってもらう人が必要だし、運んでくれる人も必要だ。

 イヌにとっての安全欲求は、犬小屋であり、飼い主の家に入れてもらうこと、大きな犬はちゃんとリードでしっかりと飼い主に離さないでいてもらうことなどが必要になる。犬の社会的欲求とは何だろうか? 人権ならぬ犬権だろうか。オスメス平等とか。格差是正とか、イヌ種差別とか。

 問題は、自己実現である。自己実現はマズローによれば、人の最高の欲求である。人が人たる所以になるような高級で価値のあるもの、つまり、人間のような霊長類ならではのものだとしているのではないか?

 では、イヌに自己実現はあるか? あるのではないだろうか。麻薬探知犬とか、警察犬とか、介助犬とか、人間にでいないことをする。ほうびがもらえるからだけではないだろう。私の勝手な定義によるならば、自分のたぐいまれなる才能を開花させ、価値ある仕事を創造する、しかも、人と堅い協調関係を築いた上での共同作業である。この意味では自己実現である。イヌはうまくいけば、うまくいったことが分かるのではないだろうか。そして、承認欲求も同時に得られる。ポチお前はすごいよ、こんなことができるなんて、と。

 結論はこうである。マズローの欲求階層説は、イヌにも適用できる。2021年9月