気づきの力 Power of the Awareness その2
ソニーのウォークマン
1979年(昭和54年)にソニーからウォークマンが発売された。ソニーのホームページから画像を取り出させていただいた。カセットテープで聞く初めのウオークマンである。音楽を外出中に聞くなどということは誰も考えなかったのである。
すごい斬新な発想だ。持ち歩いたら、皆使うと誰かが気が付いたのだ。ただ、録音機能なしでは売れないとの社内外の声があったという。しかし、何とか発売にこぎつけたし、大方反対者の予測に反して大ヒットとなり新たなライフスタイルを創造することになった。
録音機能が必要だというのは、今考えればおかしいことだが、こういう間違った指摘をもっともらしくしてしまう。そう言われて、録音機能なんて付けたら訳が分からなくなるが、人間は勘違いする。認識の問題だ。
初代 ipod が2001年だから、その先進性には驚く。日本にしては実に画期的だ。
面白いことに、こういう気づきには、反対者がいるものなのだ。気づく人というのは、きわめて創造的な人であって、普通の人には予測できないものなのだ。常識を破るものだからだ。
だから、「気づきには反対者がいる」という法則がある。
地動説であってもそうではないか。まったく認められなかったし、宗教の立場から見てもダメだった。もちろん、ダーウィンもだ。
京セラの稲森和夫が、NTT以外の携帯会社が必要だと気が付いた。そして、携帯会社を始めようと役員会に諮ったところ、稲盛を除く一人のほかは、全員反対だったそうだ。いま、携帯会社が docomo だけだったら、我々はサービスも含め、大変不便になっていることだろう。稲盛や三木谷がやらなかったら、外資が入ってきただろう。すっかり搾取されていたかもしれない。
稲盛のような超一流の経営者の発想を、平気でつぶそうとする人がいるのだ。それも優秀であろうと思われる役員たちがだ。多分、多くの発想が無駄にされているのだろう。凡人が天才を殺していないか心配だ。凡人がしなければいけないことは、天才を生かしてほしいということだ。天才を殺さないことだ。きっと。
自分たちの考えの及ばないことがあるということを知ることだ。それがわかったら、凡人も天才だ。
稲盛も三木谷も柳井などは、わかってもらえないからと言って、簡単に意見を引っ込めたらいけないだろう。そうでなければ、気づきが生かされず、会社が発展せず、雇用も生み出せない。逆に凡人はすぐに意見を引っ込めなければいけないだろう。
説明すればわかる? そんなものじゃない気がする。