気づきの力 Power of the Awareness その3
気づきの力に注目するのは、気づきは何か豊かなものを人に与えてくれるからです。
ニュートン(Sir Isaac Newton、1643年1月4日 - 1727年3月31日、英国)は、リンゴが木から落ちるのを見て、万有引力に気が付いたといわれます。ニュートンは感動したことでしょう。リンゴが落ちているのではない。リンゴと地球が引き合っているのだ、と。
しかし、そんなことを周囲には簡単には言えないでしょう。感動を伝えられない。なぜなら、一般人は木からリンゴが落ちるのは当たり前のこととしているからです。「そんなこと当たり前だろ」と言われるかもしれません。
ニュートンはなぜ気づいたのでしょう。いや、気づかされたのでしょう。そこには、長い間の準備段階が必要です。それまでの科学を勉強し知識を身に着けて新しい課題に取り組む。何故だろうかと疑問を持ち、分からないことに煩悶する。それをぜひ分かりたいと強く思う。思い続ける。
常に意識上で考えている必要はないのでしょう。ときどき、必死に考える。すると、いつの間にか、それが潜在意識の中に取り込まれて作業が無意識の中で続けられる。バートランドラッセルも同じようなことを言っています。地下で仕事をさせると。
その上で、気づきが与えられる。その気づきは、今までの複数の疑問を一気に解決することができるパズルのピース。説明することができる、あるいは、その可能がある、そういうもののようです。
フロイト(独: Sigmund Freud、1856年5月6日 - 1939年9月23日)は、無意識の存在に気が付いた。正確にはフロイトが初めてでないかもしれないが。無意識を想定することで多くの精神症状や人の行動を説明できることに気が付きました。多くの人はその重要性に気が付いていません。それを発展させた。
気づきの性質の一つに一般人は、同じ体験をしても、その重要性とか意味に気が付かないということがあります。「それがどうした」ということになります。ただ、天才と言われるような人には、感動を伴って気づきが体験されます。
記憶で多少間違っているかもしれませんが、稲盛和夫が磁器を平らにしようと必死になっているとき、あるとき、高温の炉の中で板を上から押さえればよいということに気が付き、実際にできて、大喜びをしたのですが、部下の社員は、まったくそれがどうした、当たり前じゃないかというような態度だったのです。稲盛には磁器が平らになるということが革命的、つまり、その後に多大な影響をもたらすということが分かっていたのですが、部下にはそれがどういう意味かわからなかったのです。
稲盛が言ってますが、強い情熱、燃える闘魂が必要だと言っています。どうしても、これをしたい、明らかにしたいという執念というものです。
こうしてみると、気づきというのは、上述したように何かと何かを結び付ける最後のピースのようにしてもたらされるのかもしれません。
知覚も気づきの重要な役割であることがあります。たとえば、ニュートンは、リンゴが木から落ちるのを見た。特別なものを見たのではなく、ありふれた現象を見て、与えられました。フロイトは人の言い間違いを聞き、失策を見ました。そうした知覚を介して気づかれています。
禅の修行者である香厳智閑(きょうげんしかん)は、公案(師匠からの禅の問題)を与えられます。「生まれて間もない頃(父母未生以前)、知識が身に付く前の仏法の真実を教えてくれないか」という公案です。
香厳智閑はその問に答えられず、山にこもり、悶々とした日々を送ります。必死に考える、潜在意識に沁み込むまで考える、そこで、何かが育っていったのかもしれません。無意識の中で。
ある日、墓掃除をしていたところ、掃いた小石が竹に当たる音を聞いて忽然として悟ったといいます。音です。知覚です。ニュートンもひょっとしたら、リンゴがぼとりと落ちた音を聞いたのかもしれません。
「その1」で二宮金次郎の気づきについてお話ししましが、金次郎の気づきで忘れてならないのが、ナスの味の話です。金次郎は、夏に食べた茄子の味が、秋茄子の味だということに気が付きます。冷害、不作、飢饉が来ることを予測して、農民たちに粟(あわ)やひえを作らせます。これにより、地域の餓死者を出さなかったということになっています。記憶ですので、細かいところは間違っているかもしれませんので、ご興味のある方は、成書をお読みください。
大事なのは、金次郎が味覚を通じて気づいたことです。いやもっと正確にいえば、冷夏であること、実際の稲の生育が悪いことなどの事実があったのでしょう。それに、茄子の味という味覚、知覚から、金次郎は、その確率が高いと総合的に判断したのでしょう。
有効な気づきの成立に、視覚、聴覚、味覚が重要な役割をもつことをお示ししました。