偉人のうつ病 ヘッセと金次郎の興味深い共通点

はじめに 今回の企画について

 偉人のうつ病を紹介してきましたが、ヘッセも自分のうつ病の様子を記載しています。ヘッセは、釈迦のことを書いた「シッダルタ」があります。どうして、ドイツ人がゴータマシッダルタの物語を書くのだろうと驚きますが、ヘッセは、儒教なども含めて東洋的な思想に関心が深かったようです。これ自体とても興味深いことですが、二宮金次郎の場合と比較すると、うつの問題、聖人への関心、善悪についての思想などいくつかの興味深い共通点があります。共通点の存在とそれを発見するというのは、私がとても好きなことの一つです。共通しているはずのないことが共通している。これは、不思議なことです。そう思ってしまいます。そして、そういうことが起こるとき、そこに大切なことが隠れているに違いないのです。

ヘッセの場合

ヘルマン・ヘッセ(Herman Hesse)1877-1962 ドイツ 「車輪の下」、「青春彷徨」、「デーミアン」、「シッダルタ」など。1946年ノーベル文学賞受賞。

 ヘッセは、自分のうつ状態について、以下のように記載しています。さすがにノーベル賞作家です。こんな驚くほどの精密なうつの表現がかつてあったでしょうか。当事者がどのようにうつ病を体験しているかが実によくわかります。たいへん貴重なものです。精神科医はここまで表現できません。ヘッセ43歳の時ちょうど100年前

 「私が知っていることはただ、外面的な理由もまったくなしに私の心の中でときどき暗い波が立ち始めることである。世界中が雲におおわれたように暗くなる。楽しみは純粋なものでないような感じがし、音楽は味気のない響きがする。暗鬱な気分でいっぱいになって、生きているより死んだほうがましだと思うようになる。ひとつの発作のように、この憂鬱な気分がときどきやってくるけれど、どんな間隔をおいてくるのか、私にはわからない。とにかく、それが私の世界をゆっくりと群雲(むらぐも)でおおっていくのである。それは、心の中の動揺で、不安の予感で、たいてい夜ごとの夢で始まる」。


 「私がふだんは気に入っている人間、家、色彩、音などがうさんくさく思われて、にせもののような感じがする。音楽を聴くと頭が痛くなる。手紙はすべて私を不快にし、陰にあてこすりをふくんでいるように思われる。こういうときに人と話をしなくてはならないことがあると、苦痛を感じ、必ず口論で終わらずにはすまない」。


 「このようなときがあるので、私は銃器をもたないほうがよいのだ。つまり、このようなときこそ飛び道具があったら、と思うからだ。怒りや悲しみや非難がありとあらゆるものに対して、人間や動物や天気や神に、たまたま着ている服の布地などに対して向けられる。ところが、怒り、焦燥、非難、憎悪などは、事物に向けられるだけでなくて、そのすべての事物から私自身に向かってくるのである。私自身こそ、私の憎悪を受けるに値するものなのである。私こそ、私の生活を乱し、不快なものにする張本人なのだ」。

 「この憂鬱な気分はしだいに弱まりながら私から去ってゆく。人生は再び素敵なものになり、空は再び美しく、山野の散策は再び意義深いものになる。落ち込みから立ち直ったこのような日々に、私は病気の回復期のような気分を味わう。・・・生活感情はゆっくりと上昇曲線を描き始める」。1920 

「占星術的にみると、私はいわゆる重い衝(しょう)をもっていて、それはまだ長い間続き、そして私の生活において重い心理的圧迫と抑鬱症という形をとって現れるというのである。この生活を続けていくことが、この生活を投げ捨ててしまわないことが、ときどき私にはひどくむずかしく思われる。この生活はそれほど空しく、不毛なものになってしまったのである。2年前は私の最後の最盛期であった」。


 「1919年の9月までは、私がもっとも熱中して勤勉に創作し、充実しきった、成果豊かな時期であった。1月に私は、『子供心』を完結し、その同じ月の三昼夜のうちに『ツラトゥストラの再来』を、すぐそれに続いて一幕もの『帰郷』を書いた。この期間、私の生活は多端を極めていた。・・・さらに『クラインとヴァーグナー』を書き始め、それが終わるか終わらないかのうちに『クリングゾルの最後の夏』を書き、そのかたわら毎日毎日数百枚の習作画用紙いっぱいに絵を描き、スケッチをし、たくさんの人々とさかんに付き合い、二つの情事をし、多くの晩に酒場に座ってワインを飲んだ」。

 「そして今、私は、ほとんどこの1年半くらいのあいだ、カタツムリのようにゆっくりと時間とエネルギーを節約してきている。・・・創作はまったくしていない。炎がまったく低くなっているのである。おもしろいことに、まさにこの不毛の1920年に私のたくさんの出版物が続々と刊行されている。けれど、これらの作品はずっと以前に創作したものである。実際には今年は数編の小論文と、立ち往生したままになっている『シダールタ』の第一部のほかは、何も創作していないのである」。(2021年2月17日頃)

 次は、ヘッセの善悪、差別などに関する考え方です。これらの対立は人間の精神が作り上げた錯覚などだという。

 「世界を差別や評価や苦しみや争いや戦争でいっぱいにした唯一の張本人は、人間の精神なのだ。・・・この人間精神が対立概念を作り出したのだ。それが名称を作り出したのだ。あるものを美しいと呼び、あるものを醜いと呼びこれを良い、これを悪いと呼んだ。生のひとこまが愛と呼ばれ、ほかのひとこまが殺人とよばれた。このように、この精神は若く、愚かで、滑稽なのだ。その精神の発明品のひとつが時間である。自分をますます激しく責めさいなみ、世界を、複雑でめんどうなものにする、ひとつの精巧な機械だ!人間は、望み求めるすべてのものから、この時間によってのみ、このバカげた発明品によってのみ、引き離されていたのだ!時間こそ、人間が自由になりたいと思ったら、何よりもまず捨て去らなければいけない支えの一つ、松葉杖のひとつなのだ。(1919)」

 「没落などというものは存在しないものです。没落とか上昇とかが存在するためには、上とか下がなくてはならない。けれど、上とか下とかいうものなど存在しないのです。それは、ただ人間の頭の中に、つまり錯覚のふるさとにだけあるものなのです。すべての対立は錯覚なのです。白と黒も錯覚、生と死も錯覚、善と悪も錯覚なのです。地球が空の中の不動の円盤だと信じる人が、上昇だとか没落だとかを見たり信じたりするのです。-そしてほとんどすべての人がこの不動の円盤を信じているのです。星そのものは、上も下もまったく関係ありません。(2020)」

 「聖者とは信心深い正しき人ではなくて、とくに敬虔な人、神の意志に逆らわぬ人、彼が感覚を通して知覚する一切のものを、神の意志から生じたものとして、すなわち不可避なものとして、つまり、敬虔な気持ちで受け入れることができる人であり、相対立する二つのものを不可分一体のものとして見、どんな見解も、同時にまったく対極的な見解と同等の権利を持つものとして認めることがつねにできる人であると私は考えている」(1921)

金次郎の場合

 二宮金次郎は、40代の初めに、桜町の復興事業に行き詰り、ひきこもり、失踪、そして、成田山での開眼、新たな思想の形成などを経験しています。うつに関することについては、過去のブログでご紹介させていただきました。ここでは、当時、金次郎が創った道歌を二つお示しします。このころに書いた辞職願とともに、金次郎の抑うつ気分が表現されています。約200年前

うは向きは柳と見せて世の中は蟹のあゆみの人ごころ憂き」文政9年(1826)40歳

かきつばた見ても物うききのふから」文政10年(1827)41歳

 次は、金次郎の善悪などに関する考え方です。ヘッセの着想と似ていると思いませんか。そして、うつとの関係も非常に興味深いです。

 「翁はこう言われた。儒教では、最高善に到達して、その状態を維持することを理想としている。仏教では衆善奉行という。しかし、その善というものがどういうものかということがたしかでないから、人々は善をなすつもりで、そのするところがみな違っている。いったい、善悪はもと一円である。盗人仲間では、よく盗むのを善とし、人を害しても盗みさえすれば善とすることであろう。ところが、世の法は、盗みを大悪とする。そのへだたりはこのようなものだ。天には善悪はなく、善悪は人道で立てたものである。たとえば草木のごとき、何の善悪があろう。それを人の側からして、米を善とし、はぐさを悪とする。食物になるかならないかのためである。天地にどうしてこの区別があろうか。はぐさは生ずるのも早く育つのも早い。天地生々の道にしたがうことがすみやかであるから、これを善草といってもさしつかえなかろう。米や麦のごとく、人力をかりて生ずるものは、天地生々の道に従うことがはなはだ迂闊であるから、悪草といってもさしつかえなかろう。ところが、ただ食えるか食えないかをもって善悪を分けるのは、人の都合から出た片よった見方ではないか。この原理を知らなければならない」。

日本の名著 中央公論社より


 「上下・貴賤はもちろん、貸す者と借りる者、売る人と買う人、人を使う人と人に使われる人に引き当てて、よくよく思考してみるがよい。世の中の万般のことはみな同じだ。あちらに善であればこちらに悪であり、こちらに悪いことは彼にはよい。生物を殺して食う者はよかろうが、食われるものにははなはだ悪い。そうはいっても、すでに人体があり、生物を食わなければ生きていくことができないのをどうすることもできない。米、麦、蔬菜(そさい)といっても、みな生物でないか。私は、この原理を尽くして、

見渡せばよきも悪しきもなかりけり己己(おのれおのれ)が住所(すみと)にぞある」弘化元年(1844) 58歳

 と詠んだのだ。けれども、これはその原理を言っただけである。人は米食い虫だ。この米食い虫の仲間で立てた道は、衣食住になるべき物を増殖するのを善とし、この三つの物を損害することを悪と定めている。人道で行う善悪は、これを定規とするのだ。これに基づいて、すべての人たちのために便利であるのを善とし、不便利になるのを悪と定めたものであるから、天道とは別の物であることはいうまでもない。しかし、天道に違うわけではない。天道にしたがいつつ、違うところがある原理を知らせたいだけだ」。114善悪の論 二宮翁夜話 中公クラシックス
 

 「善人は、悪人の悪いところはよく見られるが、善人の悪いところを見ることができない。それはほかでもない、善にかたよっているからである。悪人は、善人の悪いところはよく見られるが、悪人の悪いところを見ることができない。それはほかでもない、悪にかたよっているからである。貧富・勤情・奢倹の類も皆そのとおりだ。わが道を行う者は、よくこれを心得ておかねばならぬ」。(36善にかたより悪にかたよる)斎藤高行 二宮先生語録 致知出版社

 「人が清浄を好んで汚わいを嫌うのは、わがまま勝手である。(肥しなど)人が嫌って汚わいとするもの物は大根が好んで清浄なものだとすることが知れる。清浄と汚わいは一つなのだ。この道理を推してゆけば、善悪も正邪も、禍福も吉凶も、上下も貴賤も、損得も多いも少ないも、苦楽も存亡も、みな一つであることがわかるわけだ。人はそれらが一つであることを知らないから、片方を好んで片方を嫌う。なんとわがままな、一方的なものではないか」。(同上)

 ヘッセと似てますね。善と悪、上と下、好きと嫌い。うつ病も同じだけれど、このような世界観も同じです。しかも、ヘッセも金次郎も、このような見方は後に獲得されたものです。ともに、うつ病症状の後ではないでしょうか。金次郎がそういう見方をし始めたのは、うつ病が癒えはじめて、成田山で開眼した後のことです。
 そして、二人とも聖人になることを求めています。そして、聖人になるということは、正しい見解、正しい認識を得ることで、そのことによって、うつ病も克服できると思っていたふしがあるように思います。認識が誤っているから、心が晴れないのであって、悟りによって、認識が改まると、ものごとが解決するというような感じがあるように思います。
 現代ではどうでしょうか。うつ病に対して、聖人の認識を持てば回復するなどとてもいえませんよね。少し近いのは認知療法かもしれませんが。うつ病が認識をおかしくするのか、認識がうつ病をおこすのか。

 もう一つ追加です。金次郎は、四書の中で、論語、大学、中庸を高く評価していますが、孟子をそこまで評価していません。例えば「語録204」で、孔子が衛霊公に答えた言葉と、孟子が梁の恵王に答えた言葉を比較する程子の意見を至当とし、孟子を弁論の士に過ぎないと金次郎は思っていたのではないかとの佐々井典比古の考察があります。また、同214において、「困難な時に、儒者や僧はもとより、名主、組頭に至るまで相談したが、みな話し相手とするに足りなかった。大学、中庸、論語に相談してついに功を奏することができた」と言いますが、ここでも「孟子を除いていることに注意すべきである」という佐々井の注釈があります。
 一方、ヘッセは、どこに書いてあったか忘れましたが、孟子のことを取り上げて評価していたと思いました。ヘッセが孟子を勉強したこと自体がおどろきですが。