私が統合失調症を数字で診断するまで(1)医療従事者向け

心は数字でわかるか?

 昔、医局でこんな話がありました。「統合失調症を体温計みたいに数字で診断出来たらいいのに」。それに対して、別の先輩医師が、「そんなバカなことがあるか」と一蹴していました。これは、私の記憶なのか、想像なのかあやふやなのですが。

 ともかく、高血圧や糖尿病など多くの身体疾患は、検査で得られた数字で診断し評価しするのが普通です。皮膚科やレントゲン写真、脳のCTなどは視覚で判断しますが、それも数値化することは可能でしょうし、もうすでに診断にAIが活躍しているかもしれません。

 従来の統合失調症の診断は、表情や立ち振る舞い、体の動き、しゃべり方、話の内容、経過など、診断者が目と耳とを用いる診断です。視覚と聴覚とを使うのに、「統合失調症くさい」となぜか嗅覚もでてきます。師から弟子へと受け継がれる職人技です。私も統合失調症の人は、下半身の動きが少ないとか、上半顔の動きが少ないなどと師から教えられたものです。

 ICD(国際疾患分類)、DSM(米国精神医学会の分類)などの診断基準においても統合失調症の診断基準に数字は何か月かなどの期間を除いて診断に用いられません。これこれの症状がある、期間はこうである、などの条件の羅列になっています。こうした場合、評価者の症状のとらえ方や病歴の聴取の程度によって診断が影響を受けてしまう可能性があります。主観が入ると言ってもいい。したがって、医師によって必ずしも診断が一致するわけではありません。「通院する診療所や病院によって、ぜんぶ診断名が違ってました」と苦笑している親御さんも時々います。また、そういう問題点に対してあまり矛盾を感じず、必ず既存の診断基準にあてはまるはずだと考えたり、うまく診断できないのは自分の能力が低いためだと考える医師もいます。

 しかし、前に書かせていただいた通り、神が作った高度な人間の精神や行動です。優秀な臨床家がDSMやICDに精通していても、正確に診断、分類することは難しい場合があります。いや、人間の精神は、診断され分類されることに馴染みません。精神は物ではなく人間そのものに近いからです。

 もちろん、いろいろと診断のことは学ぶべきですが、それでも診断が決められないことがあってもおかしくはないのです。クルト・シュナイダーの教科書(新版臨床精神病理学第15版)にある言葉は印象的です。「1級症状と言われる体験様式が異論の余地なく存在し、身体的基礎疾患を見出せない場合、我々は臨床上、謙虚さを保ちつつ統合失調症と呼ぶ」。彼の言う1級症状を提示する意義は、非精神病性の心的異常に対しての、また循環病に対しての診断にとって特別な重みをもっているからだといいます。思考化声(考想化声)、言い合う形の幻声、身体的被影響体験、考想奪取(思考奪取)およびその他の考想被影響体験、考想伝播(思考伝播)、妄想知覚、感情・志向(欲動)・意志の領域におけるすべてのさせられ体験・被影響体験をシュナイダーは、1級症状として挙げています。

 シュナイダーの考えだと、診断できない場合が多くなります。そういう場合は、積極的に診断を保留せよと言った先人もいます。ところが、一方、提出しなければいけない法的な書類は、「〇〇疑い」では通りません。即座に「疑いなし」病名を求められます。暫定病名を求められていると考えざるを得ませんし、病名が変わることは当然ということになります。実際に、その患者さんが困っている症状や問題は、個性的かつ独特であり、簡単に分類できるものではありません。私たちのとるべき態度は、〇がもっとも疑われるが、△の可能性もあり、経過を見て判断したいという事実に即したことがもっとも良いかもしれません。

精神病理学という立場からの成因

 1972年に「分裂病の精神病理1」が東京大学出版会から出版されました。「甘えの構造」で有名な土居健郎が編者です。日本の気鋭の精神病理学者が、渾身の論文を10篇寄せています。その中に、初代の日本精神病理学会の理事長になった京都大学精神科教授の木村敏も「精神分裂病への成因論的現象学の寄与」を載せています。

 彼はこの中で、自分の使う現象学と言う手法は、元来、その成因には言及しないというルールがあると述べています。「精神病理学言論」を書いたカール・ヤスパースは成因とか、発生的了解という危ういものを自分の仕事から排除し、厳密な用語の定義とか、その正確な記述に精力を傾けています。それは、約30歳早く生まれた発生的了解の大家であるフロイトがいたからかもしれません。神経症の原因は、幼児期の体験にあるなどと決めつけるフロイトを許せなかった、自分の精神病理学はそれとは違うといいたかったのかもしれません。

 しかし、あえて、現象学においても成因について語ってもいいのでないかとして、統合失調症の成因について木村は語っています。統合失調症の成因と思われる事象として、木村が挙げたのは、「個別化原理の危機」です。たしかに、自分の情報が漏れてしまう、考えが抜き取られる、幻聴に支配されるなど、自分が自分でいられない、自と他の境界があいまいで筒抜けであるなどは、一言で言えば、個別化が保てていないということです。このことに気が付き、木村は、かなりの程度に一元化できる成因を発見したと思ったかもしれません。

 当時、ブランケンブルグの「自明性の喪失」やミンコフスキーの「現実との生きた接触」などが成因に近い形や基本的な病態として述べられていたのです。読んでみれば、なるほどと思い、そういう患者さんがいるなと思えます。初期統合失調症を研究した中安信夫は、この症状からこの症状が生まれるというような症状構成(発生学的了解?)についても精緻な記載をしています。

 研究者である以上、統合失調症の原因とか成因について知りたい、すべての症状が一元的に説明できる原因を見つけたいというのは純粋な科学的な欲求でしょう。しかし、統合失調症の成因は未だに明らかにならず、「精神疾患100の仮説」という書籍があるほど、まだ、手探りであるということがわかります。タイトルは、皮肉にもいかに精神疾患がわかっていないかということを示しています。「精神疾患の原因はわかりませんが、現在100の仮説があります」ということです。

 その後、精神病理学への期待は徐々に低下してきたのでしょう。「分裂病の精神病理」は、1987年(昭和62年)第16巻をもって終了となります。

 精神病理学が華やかだった時代から、生物学的精神医学が隆盛な時代がやってきました。全国の大学の精神科教授のほとんどが生物学的精神医学系研究者となり、精神病理学の教授は減少の一途をたどりました。医学系大学教授の選考基準が、論文のインパクトファクターだとすると、もう精神病理学では教授になることは不可能であり、必然的な結果と言えるかもしれません。

 今回のブログでは、患者さんの精神や行動が何らかの指標の数値によって規定されるということを私のたどった道筋で語ってみます。私事ですが、精神病理学会には論文を書いた時にその会員となり、生物学的精神医学会で口頭発表したことから、こちらの会員にもなっています。両方の切り口で、統合失調症失調症を数字で語ることを試みます。

 ジークムント・フロイト(1856-1939)、カール・ヤスパース(1883-1969)、クルト・シュナイダー(1887-1967)皆80歳過ぎまで生きていました。

統合失調症の機能的予後を数字で予測する

 2016年に雑誌「精神医学」に投稿した「統合失調症患者の機能的予後に関するWAISーⅢの指標について」(精神医学58:209-217,2016)は、将来、その患者がどの程度の社会適応を得られるのか、それを前もって予測できるのか? また、そういう予後に関係するのは、知能検査ではどの項目なのか?ということを調べたものです。

 心理検査を担当する当院の臨床心理士が一生懸命WAIS₋Ⅲをたくさんしてくださり、それを予後と統計学的に分析したものです。その結果、テストから5年後の社会適応がよい群では、WAIS-Ⅲの符号問題と視写の点数がよいということがわかりました。特に視写は0.348の相関係数が得られました。5年前のテストで最低何点かを超えていなければ、5年後にある程度以上の社会適応は得られないということがわかりました。

 下の図で、横軸は5年後の適応状態で、「1」は家にこもっている、「5」はほぼ完全な社会適応をしているという段階を示し、縦軸は、5年前の視写の平均点です。5年後の社会適応がいい群ほど、5年前の視写の点数が良いことがわかります。 

 このように、5年後の社会的予後は、5年前にすでに決まっているのです。少しくらい乱れていてもいいのに、社会適応が良いほど、きれいに視写の点数がよくなっています。このようなことから、統合失調症のような難しい病気でさえも、数字で理解できる場合があるということがわかりました。しかも、視写というのは、簡単な図形をただ速く書き写せばいいという単純なテストです。このようなごく簡単なことが社会適応には大切なのです。これは、驚きです。何も難しいことを知っているかでなくて、単純なことを速く処理できるということが統合失調症患者の社会適応には大切なのです。

統合失調症患者の認知機能障害とA/G比との関係

 2017年に埼玉県医学会雑誌に発表した論文です。(埼玉県医学会雑誌 51:476-480、2017)統合失調症では、平均的にみると認知機能が健常者より低下していいます。上のWAISーⅢでも統合失調症患者さんは、特に処理速度が低下しています。どのくらい低下しているかと言えば、平均的にみると軽度精神遅滞の水準まで低下しています。IQだと50-75の水準です。高度な知識がないのではなく、やはり単純なことを速く処理できないというのが、統合失調症患者さんの特徴のように思えます。哲学的問題でもなくて、簡単な作業の速さなのです。作業療法がどのくらい有用かわかりませんが、入院中に作業療法の出席率が高い患者さんの方が退院してからの予後が良かったということを調べたことがあります。ただ、作業療法に出たことがよいのか、作業療法に出られる人が予後がよいのかはわかりません。

 この研究で行ったのは、WAISーⅢの得点、つまり知能と血液検査の中の何かの項目の中に関係があるのではないかということです。驚いたことに、血液の中のたんぱく質の量と統合失調症患者の認知機能の間に相関がみられました。しかも、男女で分けてみたら、もっととんでもないことが分かりました。

 上の表をごらんください。男性では、全検査IQ、言語性IQ、動作性IQ、言語理解、知覚統合という項目で、有意にA/G比が高い患者がこれらの指標が高いといえます(相関関係)。A/G比というのは、アルブミンとグロブリンという血液の中のたんぱく質の比率です。ピアソンの相関係数が0.4を超えているので、相関関係は明白です。つまり、男性の統合失調症では、A/G比が高いほど認知機能が保たれているということです。血液検査の結果と認知機能が関係するとは驚きです。

 ところがです。女性は、まったく有意な相関関係がありません!

 驚くべきことです。では、なぜか、統合失調症の経過や発病年齢などは男女で異なります。例えば、女性の平均的な発病年齢は男性より遅い。しかし、40歳以降でもう一回の発病が多い年代があます。これは、なぜか? 一説によると、女性ホルモンがインターロイキンという白血球が出すサイトカインという物質を抑制するという性質があるといいます。インターロイキンは炎症に伴って発生するものであり、女性の場合、40歳を超えて女性ホルモンが少なくなってきたときが統合失調症を起こしやすくなるのだという説です。

 しかも、インターロイキンは、毛細血管の透過性を高めて炎症過程をすすめます。その時、アルブミンなどのたんぱく質が血管外から組織に流れ出る。すると、血管内のアルブミンは低下します。仮に統合失調症で脳に炎症が起きているとすれば、サイトカインが放出され、血管からアルブミンが流れ出て、A/G比が変動するということは大いに考えられます。炎症の主役は各種の白血球でもあります。ここで、蛋白質、インターロイキン、白血球これらが、統合失調症の場合にも関与しているのだということが分かります。

精神疾患のバイオマーカーとしての血液像について

 この研究(埼玉県医学会雑誌 55:447-451、2021)は、2019年コロナが流行りだした頃に行った研究です。コロナではその当時、リンパ球の割合が低くなるといわれていたし、確かにそうでした。同じ炎症なので、統合失調症でもリンパ球の割合が低くなり、好中球の割合が高くなるのでないかと思ったのかもしれません。

 入院患者で新入院のもの、慢性期で安定しているもの、慢性期だが悪化して行動制限を受けているものの3群に分けて比較してみました。すると、急性期群では、好中球割合が安定群より高く、リンパ球割合が安定群より低いものが多かったのです。また、行動制限群でも同じような結果が得られました。図1をごらんください。急性期群では、好中球比率が65%を超えている人が42.9%であり、対照群の24.1%よりはるかに多くなっています。また、図2をご覧ください。急性期群では、リンパ球の比率が25%未満の割合が対照群に比べて有意に多くなっています。

 つまり、急性期症状のあるものや慢性期であっても行動制限を受けているような再燃時には、好中球比率が高く、リンパ球比率が低いということがわかりました。どういうことかというと、統合失調症の病状の悪化時には、インターロイキンなどのサイトカインがおそらく脳のミクログリアで活発に生産され、炎症が起きます。これらのサイトカインは白血球の分化に影響を与え、好中球割合を高め、リンパ球割合を低減させているということです。逆に血液像を見れば、安定しているのか、炎症を脳内で起こして発病、再燃の状態にあるのか、ある程度わかるのではないかと考えました。調べたところ、2014年に Semizという研究者が好中球/リンパ球比率NLRとして、統合失調症群では健常群より有意に高いとしました。私にはNLRは思い浮かびませんでしたが、統合失調症でも急性期や再燃期で高くなり、抗精神病薬の治療がうまく進んで、炎症を鎮められれば、NLRは正常化しています。つまり、薬物の効果を含め治療の指標なのです。

 思い付きから調べてみるのはよいのですが、数字を集めるのは大変です。入力するのも大変。気が遠くなるような単純作業です。しかし、不思議なことに、統計ソフトで調べてみると、明確な結果が出ていたり、気が付かなかったことがわかったりします。何か面白い結果が出なければもうとっくにやめていたでしょう。べつにやらなくてもいいことだからだです。しかし、SPSSなどの統計ソフトは実に高価です。私はずっと前に15万円くらいで買ったものを使っていましたが、OSと合わなくなってきました。今、買い替えようとすると、研究者ではないので安価なアカデミック版も買えません。最新版を買えば 70万円程度したと思います。私はどこからも研究費が出ないので、対策として、古いOSと古いSPSSを古いパソコンごと残しています。在野の臨床研究者も生き延びさせてほしいものです。