わが国の精神医療行政、精神衛生法、精神保健福祉法は、精神障害をめぐる事件が起こることにより改正されてきました。事件が起こらなければ変わらなかったのかもしれません。それがいいのか悪いのか私にはよくわかりません。その一つ、ライシャワー事件を取り上げます。

ライシャワー Edwin Oldfather Reischauer  1910年10月15日 - 1990年9月1日

  • 1910年(明治43年)キリスト教の宣教師で,東京女子大学創立にも関わったオーガスト・カール・ライシャワーの次男として,現在の東京都港区白金台の明治学院内宣教師住宅で生まれました。 1927年(昭和2年)にアメリカに戻り,オバーリン大学を卒業後は,ハーバード大学の大学院に進学しました。
  • 昭和10年に日本への帰国後は東京帝国大学文学部の初の外国人特別研究生となり,同年にパリ大学の学生だったアドリエン(Adrienne Darnton)と結婚。昭和30年にアドリエンが3人の子供を残し急逝し,昭和31年には,明治の元勲の松方正義の孫で,アメリカンスクール・イン・ジャパンの後輩である松方ハル (1915年8月6日 - 1998年9月23日)と日本において再婚しました。
  • ジョン・F・ケネディ大統領からの大使就任要請を受諾したライシャワーは,1961年(昭和36年)4月には駐日アメリカ特命全権大使として東京に赴任し,「日本生まれのアメリカ大使」として日本人の妻とともに日本国民から人気を博します。

事件の概略

  • 昭和39年(1964)3月24日(浦和神経サナトリウム開院の翌年)に アメリカ大使館門前でライシャワー大使は、統合失調症患者にナイフで右大腿を刺され重傷を負いました。すぐ近くの虎の門病院で外科治療を受けましたが、その際輸血を受け、「これで私の体の中に日本人の血が流れることになりました」と発言し賞賛を浴びました。
  •  ところが,この輸血で用いられた血液は売血で、これによりウイルス性肝炎に罹り,肝硬変になってしまいます。その後,輸血用血液は献血により調達されることになりました。この「ライシャワー事件」は,精神衛生法改正や輸血用血液の売血廃止など,日本の医療制度に大きな影響を与えることとなりました。
  • その後3ヶ月の入院を経て回復。「今退任し帰国すれば日本人は事件の責任を感じてしまうだろう」と考え,その後も駐日大使として活躍します。
  • 事件翌日の朝日新聞天声人語には,「春先になると精神病者や変質者の犯罪が急に増える。・・・危険人物を野放しにしないように,国家もその周囲の人ももっと気を配らねばならない」と日頃人権を主張する朝日新聞が正反対の主張をしています。

おかしすぎる報道

 ライシャワー事件はすぐに新聞報道がなされました。当日の朝日新聞夕刊を都立中央図書館でコピーさせてもらいました。昭和39年(1964年)つまり東京オリンピックの年、東海道新幹線開通の年の3月24日火曜日朝日新聞夕刊です。

ライシャワー刺された

 報道によると、午後0時5分頃、アメリカ大使館ロビー前で、沼津在住の19歳の少年が、車に乗ろうとする大使の右足を刃渡り16cmほどのナイフで刺しました。大使はすぐに近くの虎ノ門病院に運ばれて、手術を受けました。この時受けた輸血がまた、のちに問題となる事態を引き起こします。
 少年は、その2年ほど前に沼津精神病院に10日間ほど分裂症の疑いで入院したこと、また、メニエル病だったとも書かれています。午後2時の公安委員長の談話では「精神病質者」という用語が使われています。また、見出しには、「”異常少年”」という現在では用いない言葉が使われています。
 民社党の西村書記長は、「こんどの事件は国辱だ」との談話を載せています。少年は「両眼が悪いために就職もできない。アメリカの方針が悪いためだ」と口走っているとも書かれています。母親はこの少年の行動を心配していて、同日の朝6時に無断で外出したのを知り、鉄道公安室に届け出ていましたが行方はわかりませんでした。
 第6面にも記事があります。「考えられぬ深刻な動機」、「単純、凶暴、しかも浅はかな犯行である」、池田潔慶応大学教授は、「19歳という犯人の年齢からして、本人にそれほど深刻な動機があったとは思えない。それだけにバカバカしいことをしたもんだと嘆く」、さらに「バカバカしさを身にしみて感じる」と繰り返しています。法務総合研究所研究官は、「しっかりした思想的指導者がいない。自分の共鳴した人間の門をたたき、その人のいうことを何でも信じてしまう風潮が強いのだ」、「青年たちをこのような行為に走らせる社会環境を改めなければ、この種の事件はあとを絶たないのではないか」と言っています。

 何と朝日の1面に「バカ」が4回も載っています。浅はかな犯行異常少年など現代では用いない用語が使われています。精神病質者という言葉にも違和感があります。池田は当時の学識者ですので、彼の発言が問題というより、それだけ日本の文化の遅れを示しているのかもしれません。

 そして、この日の一面には、マッカーサー元帥が重体であるとの記事もあります。彼は翌月4月5日に死亡しています。

 また、この夕刊の第7面には、地下鉄日比谷線の霞が関から恵比寿の間の 6km がこの日の朝に開通したとの記事があります。偶然ですが、アメリカ大使館に近い駅である神谷町にこの日に地下鉄が初めて走ったことになります。つい最近、アメリカ大使館にもっとも近い 虎ノ門ヒルズ駅 ができました。当時少年は、新橋から歩いたのでしょうか?霞が関駅から歩いて大使館に来たのでしょうか?

 また、25日の朝刊の1面には、早川国家公安委員長の辞表提出。ライシャワー大使のメッセージが読み上げられました。「日本の医師、看護師の親切に感謝します。世界中どこでも精神異常の不幸な人々のいることは、残念ながらやむを得ない事実であります。わたくしがただ一つ気にかかる点は、このようなささいなできごとで、両国の深い友好関係に傷がつくと心配される方がいらっしゃるのではないかということであります。しかしわたくしは、両国のパートナーシップはいっそう密接になり、強化されるものであると確信しております」

 そして、25日の評論家坂西志保の「憎むべき米大使刺傷事件」の記事も極めて興味深い内容です。「全アメリカ国民にとってこれは大きなショックで・・・」、「何を考えているのかわからない不気味な民族という、昔からあったあの日本人像が再び彼らの頭に浮かぶのではなかろうか」、「ペルリ遠征記に描かれた日本人観に逆もどりさせることになるかもしれない」、「心ない少年の仕業とはいえ、全国民は恥じずにはいられない」、「この事件は日本を文明国のリストから追放することになるのではないだろうか」、「法も秩序もない気違いの国というレッテルをはられたって、抗議のしようがない」。

 彼女も大変な英才で、当時の日本を代表する有識者の一人だと思います。また、遺言で国際文化会館に5,000万円寄付していますが、そこで私は披露宴をさせていただきましたので何もいえませんが、日本人は恥ずかしい、気違いの国という言葉には驚きます。恐れすぎではないかと思いますが、当時はそれが文化人の最先端の考えだったのでしょうか。

 そして、25日の天声人語です。「自分は目が悪いのに治療もできない・・・大使の責任であるという結論に達した」と警察で自供しているが、この妄想は常人のものではない・・・・身体に”異常のある少年”奇妙なひがみから出た犯行のようだ。春先になると、精神病者や変質者の犯罪が急にふえる。毎年のことだがこれが恐ろしい危険人物を野放しにしておかないように、国家もその周囲の人ももっと気を配らねばならない。

 これもすごい。朝日の言葉とは思えないです。「奇妙なひがみ」、「精神病者の犯罪が増える」、「危険人物を野放し」という言葉に驚くのは現代だからでしょうか。であるとすると、精神医療に対する偏見はかなり良くなっていると思われるのですが。長い年月を経ても、なお、納得のいく言葉を残すというのは、むずかしいことなのでしょうか。

 さらに同日の第2面の社説には、「売名にせよ、狂った信念にせよ、社会的には小さな価値しか認められぬ一生命を、より大きな価値を認められている一生命と、引替にしようとする衝動が、伝染力をもち、それを真似ようとする手合いの出てくることがおそろしい。この種の虚栄心、あるいは恥ずべき英雄気取りと、徹底的にたたかわねば、日本は、民主主義国家とも、平和国家とも、自称することは許されないのである」

 この社説もすごい。社会的には小さな価値しかない(19歳の少年)より大きな価値を認められている(ライシャワー)の対比がすごすぎる。堂々と言い放っている。人権も差別撤廃もありませんね。虚栄心とか、英雄気取りと言われても・・・的外れですし、病気なのですし、母親はたいへん心配して、できるだけのことをしたのですし・・・・。社説ですから社を挙げての論評でしょう。人間も組織も誤謬を重ねるのでしょう。しかし、それにしても、彼自身も病気だったのですし、彼の家族はその後、大変な思いをしたのではないでしょうか。

当日の新聞

 また、14面では、「異常者の犯罪」どう防ぐと題して座談会が企画されてます。「野放し状態なくせ 隔離の方法、研究が必要」との見出しもあります。慶応大教授(医学)の林髞(はやしたかし)は、「私はこの少年は精神病質者ではないかと思う・・・・精神病なら学者が診断すればわかるが、変質者はちっとやそっとではわからない」

 厚生省児童局長の黒木利克は、「鳥取大医学部の(精神科の)下田教授は、教護院児5千人に脳波検査を行い、異常の原因が、テンカンなどのような感情発作であることをつきとめ、発作が特殊な精神安定剤で押さえられるとしている。この薬で変質者の問題が予防できるのでないか」と語っています。

 林は「家庭に任せるのは危険だ。私はむしろ変質者の隔離を図るべきだと思う・・・・三度犯行を起こしたら決定的判定を下したらどうだろう・・・・相談を受ける専門家がないのだ。精神病院でも、そんなことまでやってくれない」、少年が目が悪いのに治療ができない原因はアメリカの占領政策にある。そのアメリカの日本での責任者が大使だから・・・」といったことに対して林は、「その理屈まともじゃないがスジが通っているね」と語ります。

 一橋大学教授植松正は、「東条政治はなやかしころ「おれは東条だ」というヤツがいた。社会の風潮にすいぶん関係がありそうだ。この少年にも、だれかがこんなことを教えたのではないか。出身学校の連中を調べるのも必要だ(笑い)」

 黒木は「放火してもだめだったから、大使を、というのは、変質者特有の執念深さだろう。女性のシリを執念深く追い回すのと同じことだと思う」社会評論家の大浜英子は、「家庭で温かくされておれば変質なところがあっても爆発しないですんだような気がするのです」。林は、「私は反対意見だ。内向した気持ちが犯罪に結び付いたというより、この少年が、もともと困った性質を持っていたからではなかろうか」

 言っちゃ悪いですが、現代の私たちからみるとまるでコントです。突っ込みどころ満載です。犯罪の翌日で十分な情報もないはずなのに、精神科の専門でもない人が、病名を付けちゃっています。児童局長もわずかな知識(少し外れた)から、独自の論を展開しています。お役人さんがそんなことを言ってしまってはらはらします。また、どうして、「三度」と勝手に決めるのでしょう。三度の根拠は何?また、林は、「スジが通っている」と急にほめています。どうして同級生を調べるのですか?しかも、笑っていてどうするんですか。「女性のシリ」とも関係ないでしょう。それに朝日はどうして「シリ」とカタカナにしたのですか。大浜の「家庭で温かくされておれば変質的なところがあっても爆発しないですんだ気がする」は、どうして、そう決めつけるんでしょう。母親は精一杯あたたかく育てたかもしれないではないですか

 林髞は、慶応の大脳生理学者で医師でもあり直木賞作家でもあります。ソ連に留学してパブロフの元で学んだ経験がありますが、他にも驚くような発言をしたことが、ウキペディアにありました。

 1949年(昭和24年)に行われた朝日新聞紙上の座談会で、「現在の人口の4割を急速に減らすのが日本の将来に最も良い」とし、さらに刑法に定められている堕胎罪に関する規定の撤廃を訴えて、「生みたくない子供を生まないですむ、これが重要で、人権を重んじつつ生みたくない子供を生まないということは、生みたくない子供を生むと必ず教育はしない、妊娠しても堕ろすことが出来るなら、二十年後には大体パンパンガールの八十%、ヨタ者、ヤクザの八十%が減ると見込んでいる、(中略)その反面生みたい子供を生むということも教育をよくやり、よく育てていく意味で大切で、そうすれば日本は質の良い国民を擁した国になる」。(朝日新聞昭和24年5月15日掲載)と極めて優生思想的な見解を述べているとの記載があります。

 これもすごいです。びっくりさせられます。堕胎推奨、二十年後の極論、禁止用語のオンパレード。これを掲載する感覚も当時はおかしくなかったんでしょうか。何が問題かというと、他者に対するあたたかさというのがまるで感じられません。日本を何とかしようと考えた知識人には、下層の人間はどうしても受け入れがたかった日本の恥だったのでしょうか。

 3月25日の15面には少年の供述はまだまとまりを見せず「自分は東条閣下とも関係があり、性格も似ていて、自分では東条閣下の生まれ変わりだと思っている」との記載もあります。

野放しの精神障害者

 第11面には、大使の談話として「わたしは日本に生まれたが、日本の血はなかった。だが、昨日一日でたくさん日本人の血を輸血してもらったので、今度は混血になったような気がしている」との談話が掲載されています。

 ライシャワーにもライシャワーの立場もあります。しかし、発言の内容は、日本人がコントなのに対して高級なジョークです。ライシャワーは、少年にも日本にも気を使っているようにみえます。現代でもおかしくない表現といえます。

 入院の必要があると診断された患者が28万人、病院以外の施設に収容すべきものが7万人もあるのに、全国の病院、施設の合計ベッド数は13万5千しかないとの記事も掲載されています。

 これでベッド数を増やせということになりました。ところが、現代ではこんなに精神科のベッド数が多いのは日本だけだといわれています。朝日も言ってますね。

 いったい何がコントみたいなのでしょう。まず、発言した皆さんは各分野を代表するような国際経験も豊かな方々ですけれども、十分な情報がない上に、つまり裏付けなく、自分の想像で勝手気ままに自由奔放に物事を語っています。発言に根拠がありません。しかも、自分の話が間違っているかもしれないという謙虚さが感じられません。少年やその家族に対する配慮がなく、断罪しています。何か同情すべき理由があったのではないかという想像ができないでいます。
 しかも、朝日新聞はあまり疑問を持たずに平気でこれを掲載しています。当時の最高の文化人も報道機関も、現代の尺度でみると足りなかったということなんでしょうか。論理的思考の不十分さはともかく、一番気になるのは、発言者も新聞も日本のメンツばかり気にして、他者に対するあたたかい態度が欠けているようにみえてしまうことです。その後、より偏りのない思考、論理的な考え、人道的な取り組み、寛容、尊重などの特性を日本人も身に着けてきたと感じますが、それは彼らのような文化人の功績なのでしょうか。日本の文化を何とかしようということでいっぱいだったのでしょうか。
 年月を経ても普遍的に正しいということは難しいことなのでしょう。

ライシャワー事件後の精神衛生法の改正(昭和40年6月)

  • 保健所を精神保健行政の第一線機関とした。
  • 各都道府県に保健所の指導などを行う精神衛生センターを設置。
  • 通院医療費公費負担制度
  • 措置入院に関連した手続き上の改善。

<統 計>
精神病床は,昭和40年17万床

昭和50年には28万床

平成13年35万7000床がピーク

措置入院は昭和45年の7.7万人をピークに昭和50年には6.4万人,60年には3.1万人,平成15年には2,566人で,措置率は1.0%である。

                          2020年6月7日初稿