はじめに

 精神医療にかかわる医師やコメディカルは、精神医療の歴史について最小限の知識は得ておくべきでしょう。先人がどのような努力をしてきたかも知りたいところです。そう言っても私自身あまり知識はないので、教科書等を調べてみました。いつも通りしばしば脱線しますが、印象に残りやすくするための試みですのでご容赦ください。

 精神科医の西丸四方(にしまるしほう 信州大学教授1910年- 2002年)は、彼の有名な教科書 (精神医学入門 南山堂) で、わが国では古代から狂気の記載があるとし、須佐之男命が興奮・乱暴して天照大神がもてあまして天の石屋戸(いわやと)に隠れたことを挙げています。確かに須佐之男命の逸脱行動はすさまじいです。わが国の歴史は精神病的な問題行動とともに始まったともいえましょう。アダムとイブの物語と対比させてみると興味深いと思います。

 狂気のことをタフレ(たぶれごころ:狂れ心)というのは、タハ、タフはタハゴト、タハケ、タブラカス、タハムレ、タハレメのように妄、妖(ヨウ、あやしい)、戯(ギ、たわむれる、ふざける)の意味である。クルフ(狂う)はクルクル廻ることで、憑き物のために妙な行動をすることであると西丸はしています。 

 小俣和一郎は、「精神病院の起源」という詳細な歴史書を残していますが、わが国の精神科治療は仏教寺院で始まったとしており、その類型として、密教系水治療型寺院、漢方治療型浄土真宗寺院、日蓮宗系の読経治療型寺院の三系統を挙げています。

 密教系は山裾にある寺で水行療法(滝行)などを行い、浄土真宗系では漢方薬と灸、日蓮宗系は参籠(さんろう)による読経が治療として行われました。

岩倉大雲寺

 京都の岩倉大雲寺(天台宗)(京都盆地の北の端にある)が密教系治療施設として有名です。小俣によると、冷泉天皇(在位967-969)の妃である昌子の精神病治療に大雲寺がかかわり、治癒を記念して境内に観音堂が建立されたといいます。扶桑略記(平安時代の歴史書)に記載があるとのことです。ところが、西丸は、後三条天皇(在位1068-72)の皇女佳子が29歳の時狂人になり、大雲寺の泉の水で治ったというので、ここの民家に患者が集まってコロニーになったと記載しています。(出典は未記載)どちらも事実かもしれません。

 湧水を井戸に利用しましたが、その水は霊水とされ、治病のために飲用されました。この井戸は現存しているそうです。ともかく、わが国では精神病の治療が 千年以上前から行われていることは事実です。

大雲寺の滝
大雲寺 不動の滝

★私は、大雲寺で精神科治療が1000年以上に渡って行われているのは、偶然ではないのではないかと思います。水が精神疾患と関係するという研究があります。Li(リチウム)の含有量が多い水道が利用されている地域では自殺が少ないという研究がまず欧米であり、日本の九州でも同様の結果が得られたという報告があったはずです。ですから、水治療は「清め」というような心理的な効果だけではなく、水の中のLi含有量が作用するという生物学的理由によるのかもしれません。いや他の物質や他の要因によるのかもしれませんが。このLiの濃度は治療に用いるリチウム濃度と比較すると極めて低濃度ですが、それでもある目的では有効なようです。この大雲寺の霊水のリチウム濃度を知りたいものです。山に降った雨水が地層の中を長い年月を経て浸透して山裾の寺に湧き出るのですが、この地層がLiなどの有効成分を多く含み、それが水に含まれる可能性はあります。地域によって硬水や軟水があるように、その山塊の地層のなかの成分が溶け出し神経伝達物質等に作用するということもありえます。

 江戸の高尾山でも精神病者に対する滝治療が少なくとも江戸時代には行われ、山麓に二軒の旅館ができ、その一つから1936年に高尾保養院ができたと小俣は述べています。 

 江戸時代の前期、大雲寺の周囲に各地から参集した精神病者とその家族のための茶屋が4軒以上ありましたが収容が限界になり、1875年(明治8年)、南禅寺(臨済宗総本山)の一角に「京都癲狂院」(きょうとてんきょういん)が設置されます。これが我が国最初の公立精神科病院です。大雲寺等の患者を受け入れました。しかし、1882年に経営難のために廃院となったとのことです。どうも、この時代から、日本の精神医療は私立が背負いはじめたのかもしれません。

 1878年には岩倉大雲寺の宿屋には滞在禁止令が出されました。しかし、これで終わらず、宿屋の一軒から岩倉癲狂院が誕生しました。しかも、宿屋が7軒あり、コロニー形式の治療圏を形成し、呉修三が来日した精神科医を案内した折、この地を日本のゲールと呼んだといいます。ゲールはベルギー北部の都市で、精神病者の家庭看護が行われており、さらに1862年に精神科病院も設置されて先進的な精神科治療システムができていました。呉修三はゲールを留学していた1901年(明治34年)に見学しています。

 大雲寺の周囲には今でも,いわくら病院,洛陽病院,北山病院などの精神科病院が集中しています。これらの病院は千年を超える歴史を持っているともいえるでしょう。

※大雲寺のホームページを見ると,現在でも「病気(脳病)平癒のお守り」があり,「【うつ病平癒】毎月17日「観音様縁日」午前10時30分から護摩祈願 昼食後 うつ病に悩む人たちが集い「うつ抜け」の会を開催しています。ご本人はもとより,ご家族 知人どなたでもお気軽にご参加ください。住職法話,参加者同志の談話で癒されましょう。要予約(参加費千円=昼食代,茶菓子含む)」(平成29年7月現在)との表現があります。数百年以上にわたり精神疾患への対応を継続していることは驚きです。それは、偶然ではないのではないかと思います。やはり、水が影響しているとか、滝によるマイナスイオン効果とか、何らかの生物学的な効果が隠れている、それを誰もまだ知らない、といことがありうるかもしれません。そう考えてみると面白いと私は思ってしまいます。

大雲寺観音像
秘仏 大雲寺十一面観音像

★余談 大雲寺の十一面観音像(行基作)は、「桓武天皇が平安遷都に際し洞中に安置され、光仁天皇が仙洞御所に安置されたものを藤原時平が拝領し、日野中納言藤原敦忠卿に相伝し、その室家藤原明子が勅により仙洞御所ごと大雲寺に移設安置した」と古書に記されているそうです。
 天文15年(1546)10月28日 細川玄蕃、山本修理の合戦時に焼き討ちに遭い本尊十一面観音頂上の佛面を損敗します。その後、永禄3年(1560)11月18日仮厨子に納め天皇の命により勅封(秘仏とする)されます。何と、元禄3年(1690)に 131年ぶりに御開帳されただけで、以後今日まで 325年間(2020年現在)封印されたまま一度も御開帳されていません」だから、写真がありません。それにしても「秘仏」という制度は不思議です。

 「菩薩は如来になるために修行中の身ですが、衆生済度のために、いつも私たちのそばにいてくださいます。観音菩薩は様々な悩みを持つ庶民を救済することなしには、決して如来にはならないと宣言されている有難い菩薩様で、この錫杖(しゃくじょう、頭に鐶(かん)が掛けてあり、杖を突くと鳴る)には庶民との距離の近さが感じられます。脳病(首から上)平癒の観音霊場として平安時代から知られ、精神疾患者に霊験があるとして多くの参詣者・参籠者を集めました。今日もご利益を求める善男善女の参拝が絶えません」。

★余談です。 これと似たフレーズはどこかで聞いたことがあります。法然、親鸞の浄土宗系の思想です。大無量寿経における阿弥陀様です。

親鸞の絵
親 鸞

 遠い遠い昔、仏様の教えを聞いた王は出家し、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)と名乗って修行を始めました。法蔵は「罪悪をやめられず輪廻を繰り返している衆生をも救う」と決めたのです。どのようにすれば凡夫までも救えるのか? 法蔵は、48の願をかけるのですが、18番目の願い(第十八願)は、「南無阿弥陀仏をとなえる者を必ず極楽浄土へ生まれさせ、成仏させる」という内容です。心が清らかで積極的に善を行う衆生ばかりであれば、法蔵がこれほどの修行をする必要はありませんでした。仏道修行ができない、怒りや憎しみの心を消せない、殺生などの悪を止めることができない凡夫の代わりに、法蔵が修行して功徳を積んでくださったということです。長い修行を経て、法蔵はついに本願を成就させました。ということは、南無阿弥陀仏をとなえる者は救われた」ということになります。親鸞も「阿弥陀様の本願を信じる人は、念仏以外に他の善い行いをする必要はない」と歎異抄の中で語っています。話はすごく横道にそれてしまいましたが、観音菩薩と法蔵菩薩のその考え方の構造の類似点に着目してみました。しかし、なんと斬新な考え方なのでしょう。本当に思いやりなどの大切なことはいつも逆説とともにあるのは世界で共通だと思いますね。というか、精神医療も逆説で成り立っています。

その他の精神病治療の系譜

 次に、浄土真宗系の精神病治療についてです。(ちょうど親鸞の話が出たところです)1192年(鎌倉時代)にできた濃尾平野現岡崎市にある浄土真宗の光明山順因寺では、第3代住職が精神病に対する灸治療、漢方治療を始めました。寺の第29代住職が精神科医となり、羽栗病院を1946年に設立したと小俣の書にあります。ホームページには「医療法人羽栗会は、西暦1394年(室町時代)より始まった光明山順因寺での灸・漢方薬治療をそのルーツとしております」。(2020時点)600年以上の歴史がありますね。

 読経治療型日蓮宗寺院からは、明治期以降2つの精神科病院が派生します。そのうちの一つが石神井慈療院(現慈雲堂病院)です。1890年ころ、東京芝の日蓮宗長久寺の住職が精神病にかかり、日蓮宗総本山の荒行で回復したことから、余生を精神病患者のためにささげようと寺の境内に患者用住居を新築したが、満員状態が続いたため、石神井村に土地を購入して1929年病院を建てました。なお、長久寺は港区三田に現在もあり、ホームページをみると寛永10年(1633)にできたそうです。

 石丸癲狂院は江戸後期の1818年(文政元年)頃,漢方医の石丸周吾によって現在の大阪府豊中市に開院した私立の精神科診療所です。後に石丸病院となり,第二次世界大戦中に軍に接収されて閉院となりました。小松川狂疾治療所は江戸時代末期1846年(弘化3年)に現在の東京都江戸川区西小松川町に接骨医の奈良林一徳が開いた私立の精神科診療所です。のちの加命堂脳病院。1944年軍に接収され廃院となったということです。公立の東京府癲狂院は、1879年(明治12年)に上野にできた公立の精神病院で、府立巣鴨病院を経て、1919年(大正8年)に府立松沢病院、1943年(昭和18年)都立松沢病院となっています。

初期の精神医学

 次は、学問の方に目を移しましょう。日本最古の医学全書、平安朝の「医心方(いしんほう)」は、丹波康頼 が 984年 に出したのですが、癲癇(てんかん)と狂気の症状と治療が述べられているとしています。驚くことに、医心方は、30巻以上の大著で槇佐知子(作家、古典医学研究家)が一人で40年かけて現代語訳しています。しかし、おそらくほとんど読まれてないと思われるのが残念です。その全集も手に入りそうですが、100万円ぐらいするのではないかと予測されます。代わりに、1900円で売っている槇佐和子の医心方を題材にしたエッセイ集「古代の健康法をたずねて「医心方の世界(1993年)」を購入しました。

 そこには、丹波康頼のたいへん素晴らしい文章が載せられています。医心方の第1章の次の言葉です。ヒポクラテス、ナイチンゲールと比較するとたいへん面白いです。

医心方

 「医師は治療に臨んで精神を統一し、欲得を捨て、慈悲の誓願を立て、魂あるものすべての病苦を取り除くことを心がけよ。救いを求める者に対しては、その身分の貴賤や貧富、年齢を問わず、怨敵であろうと親しいもの、善人であろうと、また田舎者と都会人、智者と愚者などあらゆる差別を捨て去り、すべての人に親心で臨むべきである。・・・日や方角、吉凶にとらわれたりわが身を惜しんではならない。患者の苦しみをわが苦しみのことのように思いやり、へき地であろうと、昼夜、寒暑、飢渇、疲労もものともせずにただ一心に救いに赴くべきである。・・・・多語、談笑、けんかをせず、道を説いたり是非を論じたり、名声を望んだり、他の医師をそしったり、自慢してはならない。自分を天下無双と思うのは、医師の命とりである」、「人に知られるような善行をすれば人がそれを讃え、隠れて悪事を善行を積めば鬼神がこれに報いる」。どうして、このような優れた認識が生まれたののでしょう。千年以上経た現代でも立派に通用します。

 香川修庵(かがわ しゅうあん,1683‐1755)は,江戸時代中期の医師(漢方医,古方派),儒学者。播磨国姫路(兵庫県姫路市)出身。18歳の時に京都に出て伊藤仁斎(いとうじんさい,儒学者・思想家),後藤艮山(ごとうこんざん,医師)に師事した。儒医一本論を提唱し,「我より古を作る」という名言を残したといいます。気合が十分入っています。 

一本堂

著書 一本堂行余医言(いっぽんどうこうよいげん) - 全30巻に及ぶといわれる医学全書。発刊は文化4年(1807年)で香川修徳の医学書の集大成とされるが,23巻以降は未完に終わっているもようです。特に巻五の精神疾患の記述は当時としては世界最高水準との評価があります。これは、慶応大学の濱田秀伯(はまだひでみち)が訳しており入手可能であります。今回、購入いたしました。なお、ヘッカー(Ewald Hecker)が破瓜病(Die Hebephrenie)を書いたのは1871年であり、カールバウム(Kahlbaum,K,L.)が緊張病(Die Katatonie order das)を書いたのが1874年、クレペリン(Emil Kraepelin)が教科書の中で両者をまとめて早発性痴呆としたのが1894年です。香川は1700年代の前半にこれらの統合失調症の同様の分類をしていました。これからみても、香川の業績は国際的にみても先進的であることがわかります。精神科専門でもないのになぜそのようなことができたのか不思議なほどです。

破瓜病と緊張病

香川修徳によると、当時の精神疾患は、

  • 驚…けいれんを主な症状とする小児の疾患
  • 癲…大きな発作を伴うてんかん
  • 驚癲…神経症圏の疾患。
  • 狂…統合失調症。さらに「柔狂」と「剛狂」の2つに分類され,前者は破瓜型統合失調症,後者は緊張型統合失調症にそれぞれ相当する。
  • 痴鵔(ちしゅん)…知的障害
  • 不食…摂食障害 

に分類されています。 ICD-10を思わせる分類でもあります。摂食障害は、30例を経験し、女性に多いとか、かなり現在と近い病態が表現されています。これをみると、摂食障害は社会心理的な要因でなく、生物学的要因の方が大きいのではないかという気になります。

 日本最初の精神科専門書として、江戸時代1819年の土田献(つちだけん)の「癲癇狂経験編」があります。症状論,治療法,60の症例の記載があるとされています。ネットで検索してみると少なくとも早稲田大学図書館にはあります。しかも、PDF中身まで見られるようになっているからすごい。ただし、現代語の訳書はないようです。

 わが国最初の西洋式の精神医学書は明治の初期1876年の神戸文哉(かんべぶんさい,信州小諸)の「精神病約説」であり,

モーズレーの教科書
加藤伸勝訳

 京都癲狂院から出されたが,英国モーズレーHenry Maudsley(1835–1918)の書の訳とのことです。この書は新訳のものが現在でも入手できます。今回、私も入手しました。