精神科医療にかかわる方々にむけて若干の考察をさせていただきます。私たちの仕事は,患者さんの人生そのものと深くからんでいます。医療者としてどのような心構えで患者さんに接すればいいのか。これは,簡単には解決できないテーマかもしれません。今回は,ギリシャの哲学者ソクラテスを研究した岩田靖夫(以下敬称略)の「よく生きる」という本の中の言葉を引用しながら考えてみます。

 欧米的な考え,自我心理学の中では「自己実現」(自分の可能性を最大限に開発し実現して生きること)がもっとも価値があるとされています。社会心理学者のマズローは「欲求階層説」という考えにより,人間の欲求の構造を下のように図示しました。低い段階の欲求として,食欲などの生理的欲求を挙げ,その上層には,どこに所属しているとか,さらに上層には他からの承認欲求を挙げ,最上位に自己実現という欲求を想定しました。

マズローの図

 これらの階段を一歩一歩上り,才能を開花させ,競争に打ち勝ち成功者になることがもっとも価値のあることだと多くの人が思っています。書店には効率よく成功するノウハウ本やAI社会の中で勝ち残るための指南書があふれています。ようするに,効率よく立ち回って少しでも得しようということです。

 ところが,岩田はこのように言います。「人生の不思議な点は,実は自己実現には人間の本当の喜びがないということなのです。本当の生きる喜びは,感覚的快楽を初めとする自己満足のうちにはありません。結論だけ言うと,生きる喜びは『他者との交わり』のうちにあるのです。毎朝目が覚めたら親子で『おはよう』と挨拶する。学校では,友達に『こんにちは』と言う。この挨拶は,自分の善意を他者に送っていることです。これが人間の最高の喜びです。これが人間が生きているということです」。

 「それでは,どういう関係を持つことがいいのか。それは,自分の方から一方的に他者に向かって善意を捧げるということです。それしか人間にはできないのです」,「お返しを求めることは相手を支配することであり,それはエゴイズムの一つの変装形態なのです」,「人間は強ければ強いほどいいのだと思っているけど,実はそうではないのです。人間は弱ければ弱いほど本質的な意味ではいいのです」と言います。

 そして彼は,宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」を取り上げます。「アラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニ入レズニ/・・・東ニ病気ノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ・・・・」を解説し,「自分,自分と自分のことばかり大事にしようとすると人間はどんどん不幸になっていく。では,何をするのか。自分を勘定に入れずに,ひたすら他人に善意を捧げるのです」,「ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/サウイフモノニ ワタシハナリタイ」で詩は終わっています。一方的に好意を捧げ,他人からの返しはどうでもいいと言います。そして,「もし,絶対に自分が支配できないものが自分に何か好意を向けてくれたのならば,それ自体が天からの贈り物のような出来事だから,人間にとってうれしいことになるのです」と岩田は言います。

宮沢賢治の伝言

 さらに,岩田は哲学者レヴィナスの言葉を挙げ,「忘恩」ということが,私たちの善意が本物かどうかの試金石だと言います。感謝を受けるということは,お返しを受けたことになり,エゴイズムが満足されたことになるというのです。だから,忘恩を蒙る(こうむる)ことを受け止め,肯定したいというのです。

レヴィナス
エマニュエル・レヴィナス

 聖人たちの話の中では,忘恩,努力が報われないこと,不条理が描かれています。例えば,ソクラテスは,若者に徳を明らかにしようと奮闘したのに誤解され,毒杯をのみました。裏切りにより,十字架で死んだイエスは,「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」と言いました。ヒンズー教徒だったガンジーはイスラム教徒との融和・共存を目指していましたが,熱狂的なヒンズー教の信者から撃たれました。彼もその時,犯人を祝福したのは前にお話しした通りです。小説レ・ミゼラブルに出てくる神父も,脱獄者ジャンバルジャンに忘恩を承知で温かい食事で一方的に好意を捧げますが,ジャンバルジャンは銀の燭台を盗んで逃走します。警官とジャンバルジャンの前で,ミリエル司教はこう言います。「これもやると言ったのにどうしてそれしか持っていかなかったのか」と。

ジャンバルジャン
銀の燭台を持つジャンバルジャン

 これらは,私たちに大きなことを気づかせてくれます。優秀な外科医であれば,神の手だと尊敬される。そういうことは,精神科ではほとんどありません。でも,これが幸いなのです。自分の努力がなかなか報われない。それどころか時に不満を言われる。精神科を良く思わない医者もいます。

 そこが良いところだと,岩田やレヴィナスなら言うのです。そして,こうも言えましょう。私たちには思いやりが必要です。ただ,強者が強者の立場で弱者に対して思いやるというのはおかしなことです。やっぱり自分は偉いのだと自己満足を得るだけなのではないでしょうか。高慢さの匂いが漂います。忘恩,感謝されないこと,軽んじられることを平気で受け止めながら淡々と仕事に向かうことが大切なように思います。病を運命として受け止めている人,その弱者の役割を担った人はとても偉く私たちはかないません。そういった現実の中で,私たちは,自然と慎み深く謙虚であるはずだと思います。

参考:岩田靖夫:「よく生きる」ちくま新書。筑摩書房2005